金印の本物は、福岡市博物館(福岡市早良区百道浜)にあります。博物館は、常設展示室の最初のコーナー「金印の世界」で開館以来常時公開している、と案内しています。ただし他館の展覧会に貸し出される期間は、本物が福岡にありません。
本館の改修工事は2026年10月頃からの予定でしたが、博物館によると入札が中止になり、休館の時期は検討中です(2026年10月時点)。休館の日付も貸し出しの予定も、出かける前に博物館の案内で1回確かめておくのが確実です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 金印(印文「漢委奴国王」) |
| 読み方 | かんのわのなのこくおう(福岡市博物館の読み) |
| 所蔵館 | 福岡市博物館(福岡市早良区百道浜) |
| 展示室 | 常設展示室の第1コーナー「金印の世界」 |
| 公開時期 | 常設で常時公開(他館の展覧会への貸し出し中を除く)。本館の改修工事は入札中止で、休館の時期は検討中(2026年10月時点) |
| 作者 | 作った人の記録は無い。後漢の光武帝が57年に奴国の王へ贈ったとする説が定説 |
| 時代 | 弥生時代(文化庁)。博物館は1世紀頃・弥生時代後期とする |
| 大きさ | 印面は平均2.347cm、総高2.236cm、重さ108.729g |
| 発見地 | 志賀島(福岡市東区)、1784年 |
| 国宝の指定 | 1954年3月20日。旧法での国宝指定は1931年 |
金印の本物は福岡市博物館の常設展示室
本物の金印は1点だけです。福岡市博物館が所蔵していて、博物館の金印のページは「開館以来、常設展示室で常時公開しています」と書いています。普段は特別展の会期を待たずに見れます。
例外は、本物が他館の展覧会に出ているときです。九州国立博物館の開館20周年の特別展「九州の国宝」では、金印が2025年7月23日から8月3日まで展示されました。九州の国宝を集める展覧会が近くで開かれるときは、福岡市博物館に本物があるかを先に確かめてください。
博物館の常設展示のページによると、常設展示室は11のコーナーに分かれていて、入って最初が「金印の世界」です。そのあとに「福岡のあけぼの」「奴国の時代」が続きます。
金印だけ見て引き返すより、3つ目の「奴国の時代」まで歩くのがおすすめです。博物館によると、奴国は今の福岡市がある博多湾沿岸にあった国でした。金印を受け取った側がどんな国だったのかを、同じ部屋の続きで確かめられます。
同じ国宝の美術品でも、曜変天目や鳥獣戯画は見られる機会が限られます。曜変天目は3碗が東京・大阪・京都の3か所に分かれ、それぞれ公開の周期が違います(曜変天目はどこで見れるか)。鳥獣戯画は本物が出る展覧会を待つことになります(鳥獣戯画の所蔵と本物が見れる機会)。金印は1点・1館・常設なので、旅の日程に合わせて寄れるのが強みです。
開館時間や休館日は、博物館のご利用案内で確かめられます。常設展示の観覧料は一般200円で、中学生以下は無料です(2026年10月時点)。
金印の読み方と大きさ・重さ
印の文字の面(印面)には、「漢」「委奴」「国王」の5文字が3行で彫られています。福岡市博物館は「かんのわのなのこくおう」と読むと説明しています。
読み方は一つに決まっているわけでもないようです。東京国立博物館が持つ模造品には、文化遺産オンラインで「かんのわのなこくのおう」という読みが付いています。資料によって読みが違うので、本物を持つ博物館の読みを覚えておけば困りません。なお、文化庁のデータベースに付いている「きんいん」は作品名の読みで、印文の読みとは別です。
大きさは博物館の計測で、印面が右2.345cm・左2.349cm、平均2.347cmの正方形に近い形です。印の上の持ち手(つまみ)まで含めた高さ(総高)は2.236cmで、重さは108.729g、金の含有率は95.1%とされています。
一辺2.3cmほどの小さな印です。つまみは蛇がとぐろを巻いて頭を印の中央へ向けた姿で、紐を通す孔があいています。
この蛇の形にも意味があるそうです。博物館の解説によると、後漢の印は材質や紐の色で地位を、つまみの形で地域や民族を表しました。金製で蛇のつまみの印を贈られた奴国の王は、後漢から見て南方の異民族の王という扱いだったことになります。
印面の文字が溝のように彫られているのも、ふつうのハンコとの違いです。博物館は、文書を封じた粘土に押して文字が浮き出るように作られた、と説明しています。
志賀島で見つかってから福岡市に来るまで
金印が見つかったのは1784(天明4)年2月23日。場所は今の福岡市東区の志賀島です。博物館によると、記録では島の農民が田に水を引く溝を直していて偶然見つけたようです。
金印は役所に届けられ、福岡藩の儒学者の亀井南冥(かめいなんめい)が鑑定しました。南冥は中国の歴史書『後漢書』東夷伝をもとに、57年に光武帝が「倭奴国王」に贈った印だと考えました。博物館はこれが今も定説になっていると書いています。
その後、金印は福岡藩主の黒田家に納められ、1978年に黒田家から福岡市へ寄贈されました。今の所蔵館が福岡市博物館なのは、この寄贈があったからです。
発見地の志賀島と、博物館のある百道浜は別の場所です。両方を回るなら、先に博物館で金印と奴国の展示を見てから島へ渡る順をおすすめします。何が見つかったのかを知ってから発見地に立つほうが、島で見るものの意味が分かりやすくなります。
福岡県の国宝の数と内訳は、国宝が一番多い県の記事にまとめました。
国宝の指定は1931年と1954年
金印が国宝になった年は、資料によって1931年と1954年の2つが出てきます。福岡市博物館は1931年に国宝に指定されたと書き、文化庁の文化遺産オンラインは重要文化財の指定日を1931年12月14日、国宝の指定日を1954年3月20日としています。
どちらかが間違っているわけではありません。1931年は、文化財保護法ができる前の法律で国宝に指定された年です。国立公文書館の年表では、文化財保護法の公布は1950年5月30日。この法律の附則は、旧法で指定された国宝を重要文化財の指定とみなすと定めています。文化遺産オンラインの指定日を見ると、金印はその中から1954年に改めて今の国宝に指定されています。
旧国宝が重要文化財になって選び直された流れは、国宝と重要文化財の違いの記事で詳しく書きました。
金印のレプリカ(模造品)と本物の見分け方
金印の写真や展示を各地で見かけても、本物は福岡市博物館の1点です。見分けるときは「所蔵が福岡市博物館かどうか」を見れば十分です。
レプリカ(模造品)にも由来のはっきりしたものがあります。文化遺産オンラインには、東京国立博物館の模造が2点載っています。1点は伊藤鋳造研究所による金製の模造。もう1点は中井敬所による、銀に金をかぶせた(銀製鍍金)模造で、明治11年頃の作とされています。
ただ、東京国立博物館で今この模造が展示されているかどうかは、データベースでは分かりません。東京で見たいなら、その時の展示を館の案内で確かめてください。本物を見る目的なら、迷わず福岡へ行くのが近道です。
改修工事の予定と、金印を見に行く前の確認
福岡市博物館はリニューアル事業を進めています。収蔵庫棟の増築は2026年3月に完成し、南側の広場は2026年10月18日に「博物館ガーデン」として開きました。
問題は本館です。本館と外構の全面改修は2026年10月頃から2029年3月末頃の予定でした。博物館のリニューアルのお知らせによると、入札参加を表明した業者が辞退し、入札を中止したそうです。休館の時期を含めて対応を検討し、改めて知らせるとのことです(2026年10月時点)。
工事はすでに一部の展示室に及んでいます。企画展示室2と3は2026年6月18日から休室していて、終了日は決まっていません。常設展示室を閉じるという案内は出ていません(2026年10月時点)。
本館の休館日はまだ発表されていないので、出発の前に博物館のお知らせとリニューアルのページを確かめてください。
普段の金印は日程を選ばずに見に行ける作品ですが、本館の工事の日程が決まるまでは例外です。
