火焔型土器はどこで見れる?国宝は十日町市博物館で常設展示

国宝の火焔型土器は、十日町市の笹山遺跡から出土した「新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」57点で、十日町市博物館(新潟県十日町市)の国宝展示室で常設展示されています。期間限定の公開ではないので、休館日を外せばいつ行っても国宝の土器が見れます。ただし中央ケースの一部は入れ替えがあり、57点がいつも全部並んでいるわけではありません。長岡市の馬高縄文館で見られる「火焔土器」も本物ですが、こちらは国宝ではなく重要文化財です。

作品(指定名)指定所蔵館・展示室公開の仕方時代読み方
十日町の火焔型土器(新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器 57点・附871点)国宝(1999年)十日町市博物館・国宝展示室常設。2026年度は中央ケースで指定番号1と6を入れ替えて展示縄文時代中期の中頃かえんがたどき、ささやまいせき
長岡の火焔土器(馬高遺跡出土品)重要文化財馬高縄文館(長岡市)館の展示で公開縄文時代中期うまたかいせき

公開の仕方と展示の入れ替えは2026年10月時点の各館の案内によります。

火焔型土器の本物が見れる場所

本物を見に行く先は、目的で決まります。国宝を見たいなら十日町市博物館、「火焔土器」の名前のもとになった馬高遺跡の土器を見たいなら長岡市の馬高縄文館です。

迷ったら、国宝のある十日町市博物館を優先しましょう。

国宝に指定されているのは十日町の57点だけで、館は常設展示「縄文時代と火焔型土器のクニ」の中心にこれを据えています。長岡市は馬高縄文館を、火焔土器が出土した馬高・三十稲場遺跡の資料を見せる施設として案内していて、重要文化財「馬高遺跡出土品」を展示しているそうです。同じ新潟の火焔型土器でも、指定の格も、遺跡も、市も違います。

2つの市はどちらも信濃川沿いなので、両方を回る価値はあります。回るなら、長岡で名前の元になった土器を見てから、十日町で57点のまとまりを見る順がおすすめ。様式の名前と国宝の範囲の関係を、順を追ってつかめます。名前の元になった土器と国宝の一括出土品を続けて見比べられるのが、2館を組み合わせる面白さです。

国宝の57点は十日町市博物館が保管しているので、県外に常設で見れる場所はありません。遠方から行く場合は、見たい日に展示されているかを十日町市博物館に確かめてから日程を決めてください。

どの土器が国宝か(新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器)

国宝の正式名は「新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」です。文化庁の文化遺産オンラインによると、20箇体まとまって出土した火焔形土器を中心にした深鉢形土器57点が本体で、同じ時期の土器や石器などが附(つけたり)として一緒に指定されています。附は土器・土製品72点、石器・石製品791点、ベンガラ塊8点の計871点。本体と合わせると928点の大きなまとまりです。

1992年6月22日に重要文化財になり、1999年6月7日に国宝へ格上げされました。

附の871点は、同じ時期に同じ場所で使われていた道具の一式です。石器やベンガラ(赤い顔料)まで附として一括で指定されたことから、遺跡の暮らしごと残す指定だと受け取れます。展示室に石器や土製品が並んでいたら、土器と合わせて見てください。57点がどんな暮らしの中にあったのか、想像しやすくなります。

国宝の単位は「火焔型土器という種類」ではなく、「笹山遺跡から出た一括の出土品」です。

長岡の馬高遺跡の出土品は、「馬高遺跡出土品」という別の件名で重要文化財に指定されています。同じ様式の土器でも、遺跡ごとの出土品として別々に指定されるので、十日町の57点が国宝だからといって長岡の土器まで国宝になるわけではありません。重要文化財の中から国宝が選ばれる指定の仕組みは、国宝と重要文化財の違いにまとめました。

新潟県にある国宝は、この土器だけです。文化庁の都道府県別の一覧(2026年9月1日現在)では、新潟県の国宝は美術工芸品の1件だけで、建造物の国宝はありません。県ごとの国宝の数は国宝が一番多い県の記事で比べています。

十日町市博物館で国宝の火焔型土器を見る

国宝の土器が並ぶのは、十日町市博物館の国宝展示室です。2026年度は中央ケースで指定番号1と6の土器を入れ替えて展示している、と館は説明しています(2026年10月時点)。

観光庁の多言語の観光案内には、笹山遺跡で見つかった「火焔型土器No.1」が原形の95%を留めた状態で出土した、と書かれています。

館は十日町駅西口から徒歩10分です。休館は毎週月曜(祝日・休日なら翌平日)と年末年始です(2026年10月時点)。

2026年秋の特別展と仮面の女神

2026年10月10日から11月23日まで、同館では秋季特別展「縄文の十字路 野首遺跡」が開かれています。野首遺跡の出土品が重要文化財に指定されたのを記念した展覧会です。長野県茅野市の中ッ原遺跡から出た国宝の土偶「仮面の女神」が出品されていて、展示されている日に行けば、火焔型土器と合わせて縄文の国宝2件を1館で見れます。特別展の開催中の観覧料は、常設展と共通で1,100円(2026年10月時点)。

館の案内には、仮面の女神だけの展示日程は書かれていません。仮面の女神や「火焔型土器No.1」のように目当ての1点があるなら、行く日にそれが出ているかを館に確かめてから出かけましょう。

長岡の馬高縄文館にある火焔土器との違い

「火焔型土器」は様式の名前で、「火焔土器」は長岡の馬高遺跡で見つかった土器の呼び名です。

観光庁の多言語の観光案内によると、この地域の火焔型土器の最初の例は1936年に馬高遺跡で発見されました。土器の上部の飾りが燃え上がる炎に似ていることが名前の由来で、のちに考古学者の中村孝三郎氏がこの土器を「火焔型A式1号」と分類したそうです。

比べる点十日町の火焔型土器長岡の火焔土器
指定国宝重要文化財(馬高遺跡出土品)
遺跡笹山遺跡(十日町市)馬高遺跡(長岡市)
見られる館十日町市博物館馬高縄文館
呼び名との関係火焔型土器を中心にした遺跡の一括出土品「火焔土器」の名の元になった土器

馬高縄文館へのアクセス、開館日、観覧料は、長岡市の案内で確かめてください。

火焔型土器の時代・読み方と使われ方

読み方は「かえんがたどき」。十日町市は「とおかまち」、笹山遺跡は「ささやま」と読みます。表記は「火焔型土器」のほか「火焰型土器」「火炎土器」も見かけますが、指す土器は同じです。

時代は縄文時代中期の中頃。十日町市博物館の説明では、縄文時代中期は紀元前3,400〜2,400年頃で、火焔型土器はその中頃に今の新潟県域で栄えた土器様式です。信濃川の中流域で紀元前3,300年頃に生まれ、紀元前2,800年頃までに姿を消したとしています。「約5,000年前」と紹介されるのは、このおよそ500年の幅をおおまかに言ったものです。

分布の狭さも特徴です。2016年の日本遺産の申請資料は、大きな4つの突起を持つ火焔型土器はほぼ新潟県域にしかなく、本場は信濃川流域だと書いています。同じ資料によると、この土器の美しさを最初に見いだしたのは芸術家の岡本太郎だったそうです。

信濃川流域の火焔型土器は、日本遺産のストーリーの題材でもあります。世界遺産との制度の違いは世界遺産と日本遺産の違いで比べました。

何に使ったかは、資料によって書き方が違います。

2016年の日本遺産の申請資料は、大きな突起が物の出し入れにかえって邪魔になることから、火焔型土器を現実の用途にかなった器ではなく、縄文人の世界観から生まれた観念を表す器だと書いています。十日町市博物館の書き方はもっと慎重です。内側にオコゲが付いたものがあるので煮炊きに使ったのは確実で、儀礼に使った可能性はあるものの証拠はない、としています。

2つの資料を読み比べると、「祭りの器」という見方は解釈の一つで、確かな手がかりは煮炊きの跡のほうです。展示室では口の縁の炎のような飾りに目が行きがちですが、内側に焦げ跡の残る土器が出ていれば、館の説明を自分の目で確かめられます。

国宝の中には、所蔵先が分かれていて「どこで見れるか」を館ごとに追わないといけないものもあります。曜変天目の3碗がそうで、3つの館の公開時期を曜変天目はどこで見れるにまとめました。

参考