金閣寺と銀閣寺の違い|建てた人・時代・建物・国宝を比較

金閣寺は3代将軍足利義満が1397年に造営を始めた北山殿、銀閣寺は8代将軍足利義政が1482年に造営を始めた東山殿がもとで、古いのは金閣寺のほうです。ただし、いま建っている金閣は1950年に焼けたあと1955年に再建された建物で国宝ではありません。銀閣と東求堂は義政のときの建物がそのまま残っているので国宝です。世界遺産としてはどちらも「古都京都の文化財」の構成資産で、庭園はどちらも特別史跡・特別名勝。

1か所だけ行くなら、遠くからでも分かる建物を見たい人は金閣寺、建物の中身と庭の意匠を見たい人は銀閣寺です。両方回るなら市バス204系統が金閣寺道と銀閣寺道を結んでいて、乗り換えはいりません。

観点金閣寺(鹿苑寺)銀閣寺(慈照寺)
建てた人足利義満(室町幕府3代将軍)足利義政(室町幕府8代将軍)
もとの山荘と造営の開始北山殿、1397年東山殿、1482年
いま建っている主な建物の年金閣は1955年の再建東求堂1485年(文化庁)・1486年完成(寺)、銀閣1489年上棟
建物の層と様式3層。1層寝殿造、2層武家造(住宅風)、3層禅宗仏殿造2層。1層は書院造の要素の濃い住宅風、2層は禅宗様の仏殿風
外装2層・3層の全面に金箔黒っぽい外観。京都府教育委員会の調査で銀箔の痕跡は見つからず
国宝の建造物なし(焼失前の金閣は国宝。焼失で指定解除)銀閣・東求堂の2棟(1951年6月9日)
庭園の指定特別史跡・特別名勝(1956年7月19日)特別史跡・特別名勝(1952年3月29日)
世界遺産古都京都の文化財の構成資産(1994年、登録基準 (ii)(iv))同じ
世界遺産に入る根拠特別名勝の庭園国宝の建造物と特別名勝の庭園
文化の呼び名北山文化東山文化
宗派臨済宗相国寺派同じ
拝観時間(2026年9月時点)9:00〜17:00夏季(3月1日〜11月30日)8:30〜17:00、冬季(12月1日〜2月末日)9:00〜16:30
最寄りのバス停金閣寺道銀閣寺道

建てた人と時代の違い(どっちが古いか)

金閣寺のもとは、鎌倉時代の公卿・西園寺公経の別荘です。金閣寺の公式サイトによると、これを3代将軍の足利義満が譲り受け、1397年(応永4年)に北山殿の造営を始めました。義満の死後、遺言で寺になり、鹿苑寺と名づけられました。

銀閣寺は、8代将軍の足利義政が1482年(文明14年)に造営を始めた東山山荘がもとです。銀閣寺の公式サイトによると、1485年に禅室の西指庵、1486年に持仏堂の東求堂ができ、1489年に銀閣(観音殿)の上棟式を挙げました。義政は翌年の1月に、銀閣の完成を見ないまま亡くなっています。なお東求堂の年は資料で少しずれていて、文化庁のデータベースは1485年の建立とし、寺の公式サイトでは1486年完成としています。

造営の開始で比べると、金閣寺のほうが85年古い。

ただ、「どっちが古い」は2通りの答えがあると思っておいたほうがいいです。造営の開始なら金閣寺ですが、いま境内に建っている建物で比べると、銀閣寺の東求堂と銀閣は1480年代の建物で、金閣は1955年の再建。文化遺産オンラインの構成資産解説には、1950年の火災で「義満の時代から唯一残っていた金閣が焼失」し、1955年に再建されたとあります。目の前にある建物の古さは、銀閣寺のほうが470年ほど上です。

北山文化と東山文化の違い

北山と東山は、どちらも京都の地名で、それぞれの山荘があった場所です。義満の北山殿を中心にした文化を北山文化、義政の東山殿を中心にした文化を東山文化と呼びます。

金閣寺の公式サイトは、義満が中国との貿易を活発にし、その時代の文化を北山文化と呼ぶと説明しています。金閣の3層が中国風の禅宗仏殿造なのも、この流れで見ると納得のいくところ。

銀閣寺の公式サイトが東山文化として説明しているのは、義政のもとでの名品の収集と、書院造と茶の湯の発展です。中国から禅僧が持ち帰った名画や名器を将軍家が集め、義政は同朋衆の能阿弥とその子の芸阿弥に命じて東山御物の選定をさせました。能阿弥は書院飾りの法式を作り、茶の湯の作法も発展させたそうです。義政の時代に書院造の建物が成立したことも、寺は東山文化の中身として挙げています。

「華やかな北山、わびさびの東山」という言い方をよく見ますが、公式の説明を読むかぎり、違いは「何を手本にしたか」です。北山文化は中国の様式を取り入れた文化、東山文化は国内の住まいの形(書院造)と茶の湯を育てた文化。この差はそのまま、次に見る建物の様式の違いにつながります。

建物の違い(金閣3層と銀閣2層・東求堂)

金閣は3層の建物です。金閣寺の公式サイトによると、1層は寝殿造で法水院、2層は武家造で潮音洞、3層は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂と呼びます。2層と3層は漆の上から純金の箔を張り、屋根は椹(さわら)の薄い板を重ねた柿葺で、頂上に鳳凰が載っています。文化遺産オンラインの解説では2層を「住宅風」としていて、寺の「武家造」と呼び方が違いますが、どちらも住まいの様式という点では同じです。

銀閣は2層です。国指定文化財等データベースは、1層を書院造の要素の濃い住宅風、2層を禅宗様を基調にした仏殿風とし、「金閣とならぶ楼閣建築の双璧」と書いています。寺の呼び名は1層が心空殿、2層が潮音閣。文化遺産オンラインによれば屋根は宝形造の柿葺で、頂部には鳳凰の飾りがあります。鳳凰が金閣だけの特徴だと思われがちですが、銀閣にも載っています。

2つを並べると、積み方の考え方は同じです。下に住宅の様式、上に仏殿の様式を置く。金閣はその間に武家風(住宅風)の層をもう1つ挟んで3層にした、と見れば覚えやすいでしょう。

大きさは、国指定文化財等データベースに銀閣の平面が東面と西面8.2m、北面7.0m、南面5.9mと記録されています。金閣は国宝でも重要文化財でもないため、文化庁のデータベースに寸法の記録がありません。大きさで並べるのは無理なので、比べるなら層数と外装まで。

銀閣寺にはもう1棟、国宝の東求堂があります。データベースによると桁行・梁間とも6.9mの入母屋造・檜皮葺で、西芳寺の西来堂に模して建てられた持仏堂です。文化遺産オンラインは、東側の4畳半「同仁斎」にある付書院と違棚を現存最古のものとし、書院造の源流と説明しています。京都府も「日本最古の書院造り」と書いています。今の和室の床の間や違棚のもとを見たいなら、銀閣寺に行くしかありません。

外装は、金閣が2層・3層全面に金箔、銀閣は黒っぽい外観です。京都府教育委員会の担当者が京都新聞に寄せた解説によると、目視と科学分析による調査でも銀箔の痕跡は見つからなかったそうです。銀閣に銀箔が無い理由と名前の由来は銀閣寺はなぜ銀じゃないかの記事にまとめました。

国宝と世界遺産の扱いの違い

国宝の建造物があるのは銀閣寺だけです。国指定文化財等データベースによると、銀閣も東求堂も1951年6月9日に国宝に指定されています。

金閣は焼失前は国宝でした。文化遺産オンラインの解説には、1950年の火災で焼失し、1955年に再建されたとあります。再建された金閣には、2026年9月時点で国宝も重要文化財も付いていません。建物が当時のものかどうかで、国宝の扱いが分かれています。焼失と指定解除の経緯は金閣寺はなぜ国宝じゃないかの記事に、国宝と重要文化財の関係は国宝と重要文化財の違いの記事に書いています。

世界遺産では、2つは同格です。どちらも1994年に登録された「古都京都の文化財」の構成資産で、登録基準も同じです。ただし、構成資産に入る根拠が違います。京都市の説明では、古都京都の文化財の構成資産は国宝の建造物か特別名勝の庭園を持つことが条件です。金閣寺は特別名勝の鹿苑寺庭園で入り、銀閣寺は国宝の建造物と特別名勝の慈照寺庭園の両方を満たしています。

「世界遺産では同格、国宝では差がある」というのが2つの寺の制度上の位置です。差の中身は、1950年に建物を失ったかどうかだけだと見てください。金閣寺の場合、世界遺産として評価されているのは庭園で、ICOMOSの評価書も再建された金閣を庭園に欠かせない要素として扱っています。

庭園の違い(鏡湖池と銀沙灘・向月台)

金閣寺の庭園は、鏡湖池に金閣を映す構図の庭です。金閣寺の公式サイトによると、鏡湖池は約6,600平方メートルで、葦原島など大小の島と、畠山石などの名石が配されています。特別史跡・特別名勝の指定地は92,400平方メートル。国指定文化財等データベースの解説は、衣笠山を望む築山泉水の庭で、室町時代の全盛期を代表する名園だと評価しています。

銀閣寺の庭園も、池の庭です。文化遺産オンラインは慈照寺庭園を、池を中心に名石と樹木を配した「池泉廻遊式」の庭園と説明し、データベースの解説も、西芳寺に構想をとった築山泉水庭で、月待山と大文字山を背景にすると書いています。銀閣寺の公式サイトによれば、錦鏡池のほか、山の斜面から水を落として下段の庭へ導く洗月泉があります。

銀閣寺で目を引く白い砂の造形、段形に盛った銀沙灘と円錐台の向月台は、江戸時代以降に足されたものです。

文化遺産オンラインによれば、江戸時代に付け加えられ、徐々に高さを増して明治20年代に今の形に定まったそうです。

「銀閣寺の庭は枯山水」と書いているページを見かけますが、文化庁の分類は池泉廻遊式。金閣寺も銀閣寺も、池に楼閣を臨ませる庭という点は同じです。違うのは、金閣寺が池の対岸から楼閣を見せる構図なのに対し、銀閣寺は池のまわりに江戸時代の砂の造形が足されている点。銀閣寺で庭を見るときは、砂盛りと池を分けて見ると、義政の時代のものと後の時代のものが区別できます。

どっちに行くか(拝観時間・バスで決める)

1か所しか行けないなら、初めて京都に行く人や、遠くからでも分かるものを見たい人は金閣寺でいいと思います。世界遺産の中の金閣寺は庭園の構図で評価されているので、鏡湖池の対岸から建物と山を一緒に見る、という見方が1つあれば十分でしょう。

建物の様式や書院造の源流を自分の目で確かめたい人は銀閣寺です。国宝の建物が2棟あり、江戸時代に足された砂盛りと義政の池の庭を見比べられます。

両方回るなら、開門の早い銀閣寺を先にするのが無理がありません。2026年9月時点の公式サイトでは、金閣寺の開門は9:00〜17:00、銀閣寺は夏季(3月1日〜11月30日)が8:30〜17:00、冬季(12月1日〜2月末日)が9:00〜16:30です。夏季なら銀閣寺は金閣寺より30分早く開きます。冬季は銀閣寺の閉門が金閣寺より30分早いので、後に回すなら16:30までに入っておく必要があります。

2つの寺を結ぶのは市バス204系統。京都市交通局の時刻表では、204号系統は金閣寺道を出て北野白梅町、西ノ京円町、烏丸丸太町、東天王町を通り、銀閣寺道に着きます。銀閣寺の公式サイトも、金閣寺からは「金閣寺道」で102系統か204系統に乗り「銀閣寺道」で降りる、と案内しています。

拝観料(参拝志納料)は、2026年9月時点で2倍の差。金閣寺の公式サイトでは大人(高校生以上)500円、小・中学生300円です。銀閣寺は公式サイトのお知らせによると2026年4月1日に参拝志納料を改定し、大人(高校生以上)500円から1,000円、小・中学生300円から500円になりました。

呼び方の違い(鹿苑寺・慈照寺・舎利殿・観音殿)

正式名は金閣寺が鹿苑寺、銀閣寺が慈照寺です。金閣寺の公式サイトによると、鹿苑寺は義満の法号「鹿苑院殿」から2字をとった名前で、釈迦が初めて説法をした鹿野苑にちなんでいます。慈照寺のほうは、銀閣寺の公式サイトによれば義政の院号「慈照院殿」にちなんで、寺になった当初は慈照院と称し、翌年に慈照寺と改名したそうです。銀閣寺の公式サイトによれば、銀閣寺という呼び名は江戸時代に金閣寺と対にして付いたものだそうです。

建物の呼び方も対になっています。金閣は舎利殿で、金閣寺の公式サイトによれば1層に釈迦三尊、2層に観音像、3層に仏舎利を納めました。銀閣のほうは観音殿と呼びます。

宗派はどちらも臨済宗相国寺派で、金閣寺は相国寺の塔頭寺院だと公式サイトに書かれています。銀閣寺も同じ相国寺派の禅寺なので、名前も宗派も対になっているわけです。

参考