厳島神社はなぜ海の上に建つ?世界遺産の理由と国宝6棟はどこ

厳島神社の社殿が海の上に建っているのは、宮島そのものが神の島として崇められ、陸に社を建てるのは畏れ多いとされたからです。宮島観光協会は、原始宗教のなごりで島全体が神の島とされていたので、潮の満ち引きするところに社が建てられた、と説明しています。

神社の御由緒によれば創建は593年。いまの社殿群の形になったのは、平清盛が1168年に寝殿造の様式を取り入れて修造してからだと伝えられています。世界遺産に登録されたのは1996年12月で、境内で国宝に指定されているのは社殿6棟。海に立つ大鳥居も五重塔も国宝ではありません。どちらも重要文化財です。

物件国宝の指定世界遺産の登録登録基準年代と要点
宮島(厳島神社)社殿6棟が1952年3月29日1996年12月(i)(ii)(iv)(vi)社殿の基本は1241年再建、本社本殿は1571年。海上の社殿群と背後の森が一体になった景観
厳島神社の大鳥居なし(1899年4月5日に重要文化財)同じ登録区域の中なし1875年の再建で9代目の木造両部鳥居
原爆ドーム(広島市)なし(1995年6月27日に史跡)1996年12月(vi)1915年4月の建設。1945年8月6日の出来事との結びつきで登録
出雲大社本殿1952年3月29日なしなし1744年の建築。大社造の規模

まず見てほしいのは「国宝の指定」と「世界遺産の登録」の2列です。この2つは別々の制度で、大鳥居は国宝なしで登録区域の中、出雲大社本殿は国宝だけと、片方しか埋まらない物件も珍しくありません。厳島神社は両方が埋まる少ないほうの例です。

厳島神社が海の上に建てられた理由

島そのものが神の島だった

文化庁の文化遺産オンラインは、主峰の弥山(海抜530m)が古くから崇敬の対象で、島全体が神聖視されていたと説明しています。神社がここに造営されたのもそのためだと考えられる、というのが文化庁の見方です。観光協会が使っている「陸地では畏れ多い」という言い方が、この判断をいちばん短く言い表しています。

海の上に建てたかったのではなく、島の上に建てられなかった、という順で読むほうが筋が通ります。

地面を削らず、木も倒さない。この条件を飲むと、社殿を置ける場所は潮が満ちれば水に浸かる浜しか残りません。景観の美しさは結果で、出発点にあったのは島を傷つけないという判断でした。

不利はそのまま建物の作りに出ています。観光協会の説明によると、廻廊の床板は柱と柱の間(1間、約2.4m)に8枚、釘を使わずに敷かれ、板と板の間はわずかに開けてあるそうです。潮が高いときや台風のとき、床下から押し上げてくる海水の力を弱め、廻廊に上がった水を流すためのすきま。海の上に建てると決めた時点で、床板1枚の張り方まで決まっていたわけです。

観光協会によると、その廻廊は幅が約4m、東西あわせて長さ約260m。1間ごとに釣灯籠が下がっているそうです。

社伝が伝える593年の創建

神社の御由緒は、推古天皇が即位した593年に佐伯鞍職へ神勅が下り、神鴉の先導で島の浦々を巡って現在地を選び、御社殿を建てたと伝えています。あくまで社伝で、記録で裏づけられた年ではありません。

御祭神は宗像三女神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)。神社は、皇室の安泰や国家鎮護、海上の守護神として古くから信仰を集めてきたとしています。文化庁のデータベースにも「海上鎮護の神として崇敬された」とあります。

正式には嚴島神社。観光協会によると、「いつき島にまつれる神」という意味から伊都伎島神、厳嶋神社などと呼ばれてきたそうです。大鳥居に掛かる額は沖側が「嚴嶋神社」、本社側が「伊都岐嶋神社」で、同じ社に2つの名が並んでいるのが見れます。

平清盛が持ち込んだ寝殿造と、いまの社殿の形

観光協会によれば、清盛が安芸守に任官したのは1146年。平家の守護神としてこの社を尊崇し、一門の力が増すにつれて社殿を現在の姿に造営したとされます。寝殿造の様式を取り入れた御社殿に修造したのは仁安3年(1168年)だと神社の御由緒は伝えています。

清盛の昇進につれて都から後白河上皇や高倉上皇、中宮徳子といった皇族・貴族が参詣するようになり、都の文化と建築が島に入ってきたそうです。いまも神社に伝わる舞楽は、清盛が大阪の四天王寺から移したものとされます。

清盛が社殿を貴族の邸宅の形に置き換えたことで、海の上でしか成立しない配置ができました。

文化庁の文化遺産オンラインは、現在の社殿は仁治2年(1241年)再建のものが基本で、清盛の厚い庇護を受けて整えられた平安末期の構成を踏襲している、と説明しています。本社本殿と客神社本殿はどちらも両流造。拝殿や祓殿を廻廊でつないだ景観は「寝殿造の大邸宅を思わせる」とも書かれています。

ただし建物ごとに年代はばらばらです。本社の幣殿と拝殿は1241年ですが、本社本殿が建てられたのは1571年。東西の廻廊はもっと新しく、東廻廊は桃山時代の建築と文化庁のデータベースにあり、西廻廊は1563年から1602年ごろです。平安末期の構えを保ったまま、棟と部材が何度も入れ替わってきた社だと分かります。

宮島(厳島神社)が世界遺産に選ばれた理由

登録は1996年12月。文化庁のデータベースによると、認められた登録基準は4つです。登録基準というのは、世界遺産に選ぶときにユネスコが当てはめる条件のことで、当てはまる数が多いほど評価の入口が広いという意味になります。暫定一覧表に載ったのが1992年、日本政府が推薦したのが1995年9月、記載はその翌年の12月でした。

観光協会が挙げている価値は4つあります。

まず建築景観としての評価。清盛の造営による社殿群が平安時代の寝殿造の様式を取り入れていて、海上に立って背景の山容と一体になった景観は他に比類がない、という見方です。

次が社殿建築の形式としての評価。山をご神体として祀り、遙拝所を麓に置く日本の社殿建築の形式のひとつで、周囲の環境と一体になった景観がその後の日本人の美意識の基準になったとされます。

保存の状態も挙がっています。造営当時の様式をよく残し、平安時代の様式を山と海の境目を使って実現した個性的な例だという評価です。残るひとつは信仰との結びつきで、神道の施設でありながら仏教との混交と分離の歴史を示す、という点。

この4つのうち日本の他の建造物と違うのは、建築景観の評価だと思います。評価されているのは建物の出来栄えより、海と森を含んだ見え方そのものです。

登録区域は431.2ヘクタール。観光協会の説明では、社殿を中心とする神社と前面の海、背後の弥山原始林(天然記念物)を含む森林区域までが範囲で、厳島全域の約14パーセントにあたるそうです。島そのものも約30平方キロメートルが特別史跡および特別名勝に指定されています。

森まで含んでいながら、登録の枠は文化遺産です。この線引きは世界遺産の文化遺産と自然遺産の違いにまとめました。

厳島神社の国宝はどこか(6棟と、そうでないもの)

神社が公開している一覧では、境内の国宝は6棟、重要文化財は11棟と3基。3基のほうは五重塔・多宝塔・大鳥居です。観光協会は、国宝・重要文化財の建造物は17棟3基、美術工芸55点など約260点としています。

建造物区分指定年月日年代構造
本社本殿・幣殿・拝殿国宝1952年3月29日本殿1571年、幣殿と拝殿1241年本殿は桁行正面八間、両流造、檜皮葺
本社祓殿国宝1952年3月29日1241年入母屋造、妻入、檜皮葺
摂社客神社本殿・幣殿・拝殿国宝1952年3月29日1241年本殿は両流造、檜皮葺
摂社客神社祓殿国宝1952年3月29日1241年桁行四間、入母屋造、妻入
東廻廊国宝1952年3月29日桃山時代折曲り延長四十五間、切妻造、檜皮葺
西廻廊国宝1952年3月29日1563〜1602年折曲り延長六十二間、西端は唐破風造
大鳥居重要文化財1899年4月5日1875年木造両部鳥居
五重塔重要文化財1900年4月7日1407年三間五重塔婆、檜皮葺
多宝塔重要文化財1901年8月2日1523年三間多宝塔、こけら葺
千畳閣(末社豊国神社本殿)重要文化財1910年8月29日1587年入母屋造、本瓦葺

国宝の6棟は、どれも1899年4月5日にまず重要文化財となり、1952年3月29日にそろって国宝へ上がっています。重要文化財から国宝へ上がる仕組みと、誰がどう決めるのかは国宝と重要文化財の違いで詳しく書きました。

写真で知られているものほど国宝から外れているのが、この神社のおもしろいところです。海に立つ大鳥居も、山側の五重塔も、千畳閣も、絵はがきの顔ぶれはそろって重要文化財。国宝は廻廊でつながれた社殿のほうに集まっています。

摂社の客神社は摂社のなかで一番大きく、嚴島神社の祭典はこの客神社から始まると観光協会は説明しています。本社と同じく本殿・幣殿・拝殿・祓殿がそろい、国宝6棟のうち2棟をこの社が占めている勘定です。

建物以外の国宝、平家納経

平清盛ら平家一門が納めたと伝わる平家納経も、厳島神社が所蔵する国宝です。文化庁のデータベースでは絵画として扱われていて、作られたのは平安時代の1164年。国宝に指定されたのは1954年3月20日で、経巻を収める唐櫃には1598年の寄進銘があるそうです。

大鳥居が国宝ではない理由と、海の中で立つしくみ

答えは2つの日付に出ています。社殿6棟が国宝になったのは1952年3月29日。大鳥居のほうは1899年4月5日の重要文化財指定のままで、そこから動いていません。社殿の中核が1241年再建の中世の建物であるのに対し、いまの大鳥居は1875年の再建で、平安時代から数えて9代目にあたるとされます。

観光協会によると、大鳥居は社殿から約160m沖の海上に立ち、高さ16.6m、棟の長さ24.2m、主柱まわり9.9m、総重量は約60t。木造の鳥居としては日本最大とされています。

倒れない理由として自重がよく挙げられます。ただ、自重だけで立っているという説明は半分です。

観光協会は、根元は海中に置かれているだけだとしたうえで、地面を固めるために柱の下へ松の丸太を打ち込んでいると書いています。これを千本杭と呼ぶそうです。海底に埋め込む基礎はなくても、地盤の側には手が入っています。ここを飛ばすと話が神秘的になりすぎます。

重さの作り方も具体的です。笠木と島木は箱状に作られ、中に約4t分の小石が詰め込まれているとのこと。主柱は耐久性と耐水性が高いクスノキの自然木で、袖柱は杉。満潮時に海水へ浸かる根元は傷みやすく、1950年から行われた修理では、傷んだ部分を新しい楠に取り替える「根継ぎ」がされています。

原爆ドーム、出雲大社との違い

同じ1996年12月に登録された原爆ドームは、登録基準が(vi)ひとつだけです。国内の文化財としては1995年6月27日に国の史跡へ指定されていて、国宝にも重要文化財にもなっていません。建物は1915年4月に建てられた広島県物産陳列館で、設計はチェコの建築家ヤン・レツル。登録の根拠は1945年8月6日の出来事との結びつきにあります。

出雲大社本殿は逆の並びです。厳島神社の社殿とまったく同じ1952年3月29日に国宝へ指定されていますが、世界遺産ではありません。文化庁のデータベースによると現在の本殿は1744年の建築で、正方形平面・切妻造・妻入の大社造。規模の大きさ、高い床、太い部材が挙げられ、史料や伝承では古代にはさらに高大だったとされています。

国宝の指定と世界遺産の登録を分けて見るだけで、厳島神社まわりの疑問は大半が片づきます。世界遺産の構成資産でありながら国宝ではない建物もあって、金閣がその例。理由は金閣寺はなぜ国宝じゃないに書きました。

参考