中尊寺金色堂が国宝なのは、1124年に建った堂が内も外も金箔張りのまま残っているからです。螺鈿や飾金具の飾りから堂内の仏像、荘厳具(仏の周りを飾る道具)まで、創建時の一式で伝わっています。平泉が2011年に世界遺産になった理由はこれとは別で、中尊寺・毛越寺などの寺院と浄土庭園、金鶏山がひとまとまりで「この世に表した仏の浄土」になっている点が評価されました。
国宝は1棟の出来を、世界遺産は浄土を形にした町の構想を見ています。世界遺産の評価書は、金色堂の金の下の造りを平凡とまで書いているほどです。
| 物件(年代) | 国宝の指定 | 世界遺産の登録 | 登録基準 | 指定・登録の理由 |
|---|---|---|---|---|
| 中尊寺金色堂(1124年) | 国宝(1951年。重要文化財は1897年) | 平泉(2011年)の構成資産「中尊寺」の中 | (ii)(vi)(平泉全体として) | 内外の金箔、螺鈿と金工の飾り、荘厳具まで創建時のまま残る |
| 金色堂堂内諸像及天蓋(平安時代) | 国宝・彫刻(2004年。重要文化財は1956年) | 同上 | 同上 | 阿弥陀三尊・六地蔵・二天の諸像と天蓋が堂内に一式で残る |
| 平泉(11〜12世紀) | 資産全体は史跡・特別史跡・名勝・特別名勝で保護 | 2011年 | (ii)(vi) | 寺院と浄土庭園、金鶏山のまとまりがこの世に表した浄土になっている |
| 毛越寺(12世紀中頃の創建。評価書の記述) | 特別史跡・特別名勝の二重指定 | 平泉(2011年)の構成資産 | (ii)(vi)(平泉全体として) | 建物は火災で失われたが、浄土庭園が残る |
| 平等院鳳凰堂(中堂。1053年) | 国宝(1897年に指定) | 古都京都の文化財(1994年) | (ii)(iv)(古都京都全体として) | 本尊の阿弥陀如来を安置する堂と、前の池を中心にした浄土式庭園 |
中尊寺金色堂が国宝に指定された理由
文化庁の文化遺産オンラインで解説を読むと、理由のほとんどは堂の飾りと中身の話です。堂は縁側から軒先まで、内も外もすべて黒漆を塗って金箔を押してあります。
内陣の四天柱や長押、組物には沃懸地螺鈿(螺鈿は貝を嵌め込む飾り)で宝相華唐草文を飾っています。柱に蒔絵で描かれているのは菩薩像です。仏壇の全面は彫金・鋳金・鍛金の飾金具で覆われています。文化庁の評は「漆芸・金工による建築装飾の粋をつくしている」。
解説は、荘厳具一式まで創建時のまま残り、美術史上の価値もきわめて高いと結ばれています。
建物そのものは、文化庁の言葉では「小規模な一間四面堂」です。大きさで選ばれた建物ではありません。屋根の木瓦葺は類例が少ないとされていますが、国宝の理由を読む限り、文化庁が重く見ているのは、金と漆と貝の仕事が中身ごと創建時のまま残っていることのほうです。
なぜ残ったのかも、文化庁は説明しています。1337年の火災で中尊寺の堂塔はほぼ焼け、残ったのは金色堂と経蔵だけでした。金色堂は建ってまもなく軒下に霧除けを付け、鎌倉時代には覆堂(堂をすっぽり覆う建物)を設けたので、保存状態はきわめて良いそうです。
文化庁のデータベースでは、1897年12月28日に重要文化財、1951年6月9日に国宝に指定されています。重要文化財の中から国宝が選ばれる仕組みは、国宝と重要文化財の違いの記事で説明しています。
堂の中の仏像は、建物とは別の国宝です。「金色堂堂内諸像及天蓋」として1956年に重要文化財、2004年に国宝(彫刻)に指定されました。文化庁の解説では、中央の壇に阿弥陀三尊、六地蔵、二天王像が並び、左右の壇にも同じ構成の像が置かれたとあります。平安時代後期の地方文化のあり方の典型とも評されています。
つまり金色堂の前に立つと、建造物と彫刻の国宝2件を一度に見れるわけです。国宝の理由を確かめたいなら、堂の外観より、柱の螺鈿や仏壇の飾金具、壇上の像の並びに目を向けるほうが筋が通ります。
「皆金色」の由来と藤原四代の墓堂
中尊寺の説明では、金色堂は1124年(天治元年)に藤原清衡が上棟しました。寺は、内外に金箔を押したその姿を「皆金色」と称すると説明しています。金色堂という名のとおりの姿です。文化庁の指定の名称は「中尊寺金色堂」で、所有者は金色院となっています。寺の説明では、内陣の螺鈿に使われた夜光貝は、はるか南洋の海から運ばれたものだそうです。
金色堂にはもう一つの顔があります。文化庁の解説によると、中央の須弥壇に清衡の棺、左右の須弥壇に基衡と秀衡の棺、そして四代泰衡の首級が納められているそうです。阿弥陀堂であり、同時に奥州藤原氏四代の墓堂でもあります。
一族の亡骸を納めた堂なので、中身を動かさず建て替えずに守る理由が寺にずっとあったはずです。荘厳具まで創建時のまま残った背景の一つとして、この性格は押さえておきたいところです。
平泉が世界遺産に登録された理由
平泉は2011年に「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界遺産に登録されました。構成資産は中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山の5つです。
世界遺産委員会が採択した声明を読むと、主役は4つの浄土庭園です。そのうち3つは聖なる山の金鶏山に向けて造られ、2つは発掘をもとに復元、残る2つはまだ地中にあるといいます。
奥州藤原氏はこれらを、この世に表した仏の浄土として、寺と池と木々と金鶏山の峰を組み合わせて配置しました。平泉は11〜12世紀に北の政治の中心として京都と張り合ったものの、1189年に大半が失われています。
登録基準の中身は2つです。1つ目は、仏教とともにアジアから伝わった庭造りの考え方が、日本古来の自然崇拝や神道の上で育ち、日本独自の町の計画と庭の意匠になったこと。平泉の寺と庭はほかの町にも影響し、声明は鎌倉に中尊寺を手本にした寺があったと書いています。
2つ目は、仏教の広がりと、自然崇拝や阿弥陀の極楽浄土の考えが平泉で独特に溶け合ったこと。寺と庭の遺跡の一群が、この世に表した浄土の象徴だという評価です。
では金色堂はどこに出てくるのか。声明の要約は、12世紀から残る唯一の寺の建物で、金をふんだんに使った姿が藤原氏の富を映していると書いています。声明はほかにも、金色堂が巧みに保存されてきたことと、コンクリートの覆堂が景観の中での真実性をある程度損ねたことに触れています。ただ、どれも浄土庭園の説明に比べれば短いものです。
声明の書き方を見ると、世界遺産としての平泉で金色堂は浄土庭園の脇役です。
平泉の資産は史跡・特別史跡・名勝・特別名勝の指定で守られていると決議に書かれています。毛越寺の公式サイトによれば、毛越寺は特別史跡と特別名勝の二重指定だそうです。庭園や遺跡が国宝ではなく史跡や名勝で守られる仕組みは、史跡・名勝・天然記念物の違いにまとめました。
毛越寺について評価書は、12世紀中頃に京都・東山の法勝寺に似た形式で建てられ、40の堂と庭、500人もの僧の住まいを備えていたと書いています。建物は13世紀と16世紀の火災ですべて失われました。毛越寺で世界遺産の理由に当たるのは、池を中心とする庭のほうです。
2008年の見送りと2011年の登録
ICOMOS(世界遺産の文化遺産を審査する専門機関)の評価書によると、平泉は2008年の第32回世界遺産委員会で一度登録が見送られ、再推薦では構成資産を9から6に絞っています。
推薦のときの登録基準は3つでした。そのうち建築や景観の類型としての価値を問う基準について、評価書は、浄土を地上に表す考え方は同じ頃の朝鮮半島にも広く見られたとして、認めていません。6つの資産のうち柳之御所遺跡も、浄土の仏教を理解する手がかりになる要素が無いとされ、決議で除かれています。こうして登録は2つの基準、5つの資産になりました。
外されたものを並べると、世界遺産が評価した範囲がはっきりします。残ったのは浄土を表す寺と庭と山だけで、浄土とのつながりを説明できない遺跡は、平泉の歴史に欠かせない場所でも外されています。
国宝の理由と世界遺産の理由はどう違うか
| 観点 | 国宝(金色堂) | 世界遺産(平泉) |
|---|---|---|
| 対象 | 1件ずつ。堂は建造物、堂内の像と天蓋は彫刻として別の1件 | 中尊寺・毛越寺など5つの資産のまとまり |
| 決める人 | 文部科学大臣 | 世界遺産委員会 |
| 物差し | 文化財保護法の「世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」 | 世界的に見て際立った価値(顕著な普遍的価値)と登録基準 |
| 金色堂の扱い | 飾りと堂内一式が創建時のまま残ることが理由の中心 | 12世紀から残る唯一の寺の建物で、藤原氏の富を映すもの |
文化財保護法では、国宝は文部科学大臣が重要文化財の中から選ぶと決まっていて、物差しは1件ごとの出来です。世界遺産は物件全体が世界的に見て際立った価値を持つかを、登録基準に照らして決めます。
評価のずれがいちばんよく分かるのは、金色堂への見方です。ICOMOS の評価書は、11〜12世紀にここまで金で覆われた堂の記録はほかに無く、その点で比類がないと認めています。ところが同じ文で、金の下の造り、つまり宝形屋根の方形の堂としては平凡だったと書いています。
覆堂の評価も逆向きです。文化庁は覆堂があったから保存状態がきわめて良いと書いていますが、世界遺産の声明は、今の堂を囲むコンクリートの覆堂が景観の中での真実性をある程度損ねたとしています。評価書によれば、このコンクリートの覆堂は1968年に古い覆堂に代わって建てられました。
国宝だから世界遺産になったわけではありません。金色堂が平泉に入っているのは、12世紀から残る唯一の寺の建物だからです。
現地での見方も、理由に合わせると分かりやすくなります。金色堂は堂内の細部を、世界遺産としての平泉は毛越寺の池や、寺と金鶏山との位置関係を見てください。逆に、国宝ではないのに世界遺産の構成資産に入っている例が金閣寺で、その理由は金閣寺はなぜ国宝じゃないのかの記事にまとめました。
平等院鳳凰堂との比較
同じ阿弥陀如来の堂で国宝といえば、宇治の平等院鳳凰堂です。古都京都の文化財の推薦書の資料では、中堂は1053年の建立で、本尊の阿弥陀如来像を安置する堂として1897年に指定され、国宝になっています。鳳凰堂とその前の池を中心にした浄土式の庭園は、1922年3月8日に史跡及び名勝に指定されました。
世界遺産としては、平等院は1994年に登録された「古都京都の文化財」の構成資産の一つです。古都京都の文化財についての世界遺産委員会の声明は、登録の理由を2つ挙げています。京都が8世紀から17世紀まで、宗教建築・世俗建築と庭の意匠の発展の中心だったこと。そして残る建物と庭のまとまりが、近代以前の日本の物質文化の最高の表現であることです。
並べると、建築と庭の影響を評価する基準は両方が持っていて、違うのはもう1つです。平泉は建築や景観の類型としての価値が認められず、信仰や思想との結びつきを問う基準で登録されました。京都はその逆で、信仰の基準は持たず、建物と庭のまとまりの価値で登録されています。
同じ浄土の阿弥陀堂でも、京都では都の建築と庭の流れの一つとして、平泉では浄土の考えそのものを地方の町に形にした例として評価されました。
2つを比べるなら、見る点は2つで足ります。建った年は鳳凰堂が1053年、金色堂が1124年で、およそ70年の差があります。もう一つは世界遺産の中での立ち位置で、鳳凰堂は京都の資産の一つ、金色堂は平泉の資産の中で唯一残った12世紀の寺の建物です。国宝の建物がそのまま世界遺産の中心になった例としては、法隆寺が世界遺産になった理由も比べてみてください。
