法隆寺が世界遺産になった理由4つ|日本初の登録と48棟の範囲

法隆寺が世界遺産になった理由は、UNESCOが物件ごとに採択する顕著な普遍的価値の声明(何を評価したのかを書いた文)に挙がる4点に尽きます。まず、木造建築の傑作であること。仏教が日本に伝わった直後にさかのぼる、日本で最初期の仏教建造物でもあります。中国の寺院建築と伽藍の配置を日本の文化に取り込み、そこから日本独自の様式へ進んだ過程が残っている点。そして、聖徳太子が仏教を広めたことです。

登録は1993年(平成5年)12月。日本で最初の世界遺産になりました。

範囲は法隆寺の境内だけにとどまりません。登録名は「法隆寺地域の仏教建造物」で、隣の法起寺の三重塔まで含めた48棟が、まとめて1件として登録されています。

物件(通称)登録名区分登録基準登録年月評価された中身国内の指定
法隆寺法隆寺地域の仏教建造物文化遺産(i)(ii)(iv)(vi)1993年12月木造建築の傑作/日本最初期の仏教建造物で後の宗教建築に影響/中国の様式を日本化した過程/聖徳太子による仏教の広まり48棟が国宝または重要文化財。15.3haが特別史跡
姫路城姫路城文化遺産(i)(iv)1993年12月16世紀中頃に確立した日本独特の城郭様式の最盛期の遺産で、17世紀初頭の城郭を代表する天守群8棟が国宝。特別史跡「姫路城跡」
屋久島屋久島自然遺産(vii) 自然美・(ix) 生態系1993年12月樹齢千年を超えるスギの天然林と、海岸から山頂まで途切れない植生特別天然記念物「屋久島スギ原始林」ほか
白神山地白神山地自然遺産(ix) 生態系1993年12月氷河期以降の東アジアを代表する、原生状態のブナ林全域が国有林

法隆寺が世界遺産に選ばれた理由(4つの登録基準の中身)

登録基準(世界遺産にふさわしいかを判断する条件)の1つ目は「木造建築の傑作」という評価で、声明が挙げるのは建物全体の造りと装飾の両方。文化庁も同じ基準を「木造建築の傑作である」と書いています。ここで見られているのは造りの質で、古さの話はまだ出てきません。

2つ目が、仏教が日本に伝わった直後にさかのぼる最初期の仏教建造物であり、その後の宗教建築に深い影響を与えた、という評価です。文化庁は「日本に仏教が伝来した直後にまでさかのぼる当国最初期の仏教建造物」と訳しています。建物そのものより、あとに続いた建築への影響を見ている基準。

3つ目は、中国の仏教建築と伽藍の配置を日本の文化に取り込み、そこから日本特有の様式を発展させた過程を残している点です。文化庁は西院の主要な建物について、中国や朝鮮にも残っていない初期の仏教建築様式だと書いています。

様式の出どころである大陸に残らず、斑鳩に残った。これが「日本化の過程」と言われるものの中身です。

4つ目だけは建物の話ではありません。聖徳太子による仏教の推進が、この文化圏に仏教が広がるうえで重要な段階にあたる、という評価です。人と信仰を理由にしているので、建築の出来ばえとは別の軸になります。

4つを頭に入れるなら、物・影響・人の3つに束ねると読みやすくなります。建物そのものの質が1つ、後の日本の寺院建築への影響が2つ、聖徳太子という人が1つ。「日本最古だから世界遺産」の一言で片づけると、4つのうち3つが抜け落ちてしまいます。

「世界最古の木造建築」はどこまでを指すのか(11棟と48棟)

声明によれば、48棟のうち7世紀後半から8世紀にさかのぼるのは11棟。世界に現存する木造建築でも最も古い部類にあたる、というのが声明の言い方です。ICOMOSの評価書はもう少し幅を取っていて、48棟のうち28棟が8世紀までに建てられ、これらは世界最古の現存木造建築だと主張できると書いています。

「法隆寺は世界最古」とだけ言うと、境内に建つものすべてが最古のように聞こえます。最古と呼べる範囲は、資料によって11棟から28棟のあいだ。

創建時の建物は、いったん失われました。声明は、670年の火災でもとの法隆寺の建物が焼け、後の西院の南東にあたる若草伽藍と呼ばれる区画に地下の遺構が残っていると書いています。文化庁の説明でも、いまの金堂は、聖徳太子が創立した伽藍が670年に焼失したあとに西院伽藍として再建されたものです。

その金堂を文化庁は飛鳥時代(593-709年)の建物とし、「世界最古の木造建造物で、全体の均衡もきわめてよい名建築である」と記しています。

声明が特筆すべき点として挙げるのは、柱のエンタシス(中ほどがふくらむ形)と、雲の形をした組物の2つ。文化庁も法起寺三重塔について雲斗・雲肘木を挙げていて、この組物は法隆寺と法起寺に共通する特徴です。

最古の木造建築を見れるのはどこか、という問いには、西院伽藍の中心部と法起寺の三重塔、と答えるのが正確でしょう。境内をくまなく回らなくても、最古の建物を見るという目的なら足ります。

どこまでが世界遺産の範囲か(法隆寺と法起寺の48棟)

文化庁の国指定文化財等データベースが構成資産として挙げているのは、法隆寺と法起寺の2か所だけです。どちらも奈良県生駒郡斑鳩町にあり、声明の数字では法隆寺が14.6ha、法起寺が0.7ha。この2つをまとめて、570.7haの緩衝地帯(周囲を守るための区域)が設けられています。

2つを合わせても15.3haなので、緩衝地帯はその37倍ほどの広さになります。守られているのは建物の敷地だけでなく、周りの斑鳩の景色まで。

法起寺から登録に入っているのは三重塔の1基だけです。ICOMOSの評価書は、法起寺が16世紀末の政治的な混乱でほとんど破壊され、創建当初から残っているのは三重塔だけだと書いています。文化庁はこの塔が706年に完成したと説明しています。

近くの中宮寺や法輪寺は構成資産に入っていません。法輪寺にも三重塔がありましたが、文化庁は1944年に焼失したと記していて、そのために法起寺の塔が現存最古の三重塔になったと説明しています。

「法隆寺を見れば世界遺産を見たことになる」と思って行くと、法起寺が抜けます。登録の単位は1つの寺ではなく斑鳩という地域で、塔1基のために少し足を延ばして、やっと登録範囲を見たことになる。行く前に知っておいたほうがいい点です。

1つの寺社の中でどこまでが国宝なのかという線引きは、厳島神社の記事でも扱っています。

法隆寺の国宝の建造物と、1897年から続く保護

声明は、48棟すべてが1950年の文化財保護法にもとづいて国宝または重要文化財に指定され、15.3haの範囲が特別史跡としても守られている、と書いています。内訳はICOMOSの評価書にあって、1993年の時点で国宝が19棟、重要文化財が29棟。足すとちょうど48棟になります。

指定の日付をたどると、保護の始まりはもっと古いところにありました。文化庁のデータベースによれば、法隆寺金堂が指定されたのは1897年12月28日で、国宝になったのは1951年6月9日。法起寺三重塔もまったく同じ日付です。

1897年は古社寺保存法ができた年にあたります。いまの重要文化財という区分は1950年の文化財保護法によるもので、1897年当時の呼び名ではありません。ICOMOSの評価書も、この先駆的な法律が法隆寺の大がかりな修理につながったと書いています。

明治の法律で最初に守られた建物が、戦後の文化財保護法でもそのまま国宝になった。制度が入れ替わっても、守る対象は動かなかったということです。国宝と重要文化財がどう分かれるかは別の記事にまとめました。

指定は永久のものではありません。建物が失われれば外れます。焼けた金閣がその例で、事情は金閣寺の記事に書きました。

法起寺三重塔については、平面寸法が法隆寺五重塔と一致し、雲斗・雲肘木など法隆寺と深い関係があると文化庁が説明しています。別の寺の塔が、同じ寸法で、同じ組物で建っている。2つの寺が1件の世界遺産にまとめられているのも、こうして並べてみると納得がいきます。

なぜ日本で最初の世界遺産だったのか

ICOMOSの評価書によると、日本政府の推薦書は1992年10月1日付でした。ICOMOSの専門家が現地を見たのは1992年9月と、1993年の4月・8月。3度の調査を経て、評価書は4つの基準での登録を勧告しました。

登録は1993年12月。地元の斑鳩町も、平成5年12月に法隆寺地域の仏教建造物が日本初の世界遺産として登録されたと説明しています。

同じ1993年12月には、姫路城と屋久島、白神山地も登録されました。日本の世界遺産は、文化2件と自然2件の4件から始まっています。

「日本で最初」は順番の話に見えて、中身は準備の話だと思います。1897年の古社寺保存法から数えて、法隆寺には修理と記録がおよそ100年分積み上がっていました。ICOMOSは1895年以降の保存修理について、現代の保存の最高水準に達していると評価しています。

推薦に必要な材料が最初からそろっていた物件が、最初に出された。そう読むほうが筋が通ります。

同じ年に登録された姫路城との違い

同じ1993年12月の登録でも、評価された中身は大きく違います。姫路城で文化庁が挙げているのは、日本独特の城郭様式が最盛期を迎えた17世紀初頭の姿です。

法隆寺は日本の寺院建築が始まった時期を評価され、姫路城は木造城郭が完成した時期を評価された。どちらも木造建築ですが、評価された時期は端と端です。

数え方も違います。法隆寺は2つの寺にまたがる48棟で1件、姫路城は1つの城。国内の指定でも、法隆寺の48棟は国宝と重要文化財が混ざるのに対し、姫路城は天守群8棟が国宝です。姫路城が白鷺城と呼ばれる由来と国宝8棟は、別の記事にまとめました。

屋久島と白神山地は自然遺産です。屋久島は海岸から山頂まで途切れない森と自然美、白神山地は原生状態のブナ林が理由。屋久島の記事では、縄文杉が登録理由にどう扱われているかまで書きました。

最初の4件は、古い木造建築・城・南の島の森・北のブナ林と、性格がばらばらに並んでいます。1件ずつ見ていると気づきにくいのですが、4件を横に並べると、日本が最初に何を出したのかが分かります。

参考