上賀茂神社と下鴨神社は、どっちが先にできたのかを記録では決められません。社殿の造営として両社が挙げる年はどちらも677年で、下鴨神社は正確な創祀を不明と説明しているからです。先後がはっきり分かれるのは国の指定のほうで、境内が史跡になったのは下鴨神社が1983年、上賀茂神社が1993年。国宝はどちらも本殿まわりの2棟、世界遺産はどちらも「古都京都の文化財」という同じ1件の構成資産で、こちらに順番はありません。
| 観点 | 上賀茂神社(賀茂別雷神社) | 下鴨神社(賀茂御祖神社) |
|---|---|---|
| 読み方 | かもわけいかづちじんじゃ | かもみおやじんじゃ |
| 鎮座地 | 京都市北区上賀茂本山町 | 京都市左京区下鴨泉川町(鴨川と高野川が合流する三角州) |
| 主祭神 | 賀茂別雷大神 | 賀茂建角身命(西殿)・玉依媛命(東殿) |
| 社殿造営の記録 | 677年に山背国により賀茂神宮を造営 | 677年に山背国司に命じられて造営 |
| 国宝の棟 | 本殿・権殿の2棟 | 東本殿・西本殿の2棟 |
| 国宝の年代・構造 | 1863年(文久3)・三間社流造・檜皮葺 | 1863年(文久3)・三間社流造・檜皮葺 |
| 国宝の指定日 | 1953年3月31日(指定番号00141) | 1953年3月31日(指定番号00142) |
| 重要文化財の棟数 | 41棟(上賀茂神社の説明) | 53棟(下鴨神社の説明) |
| 世界遺産 | 古都京都の文化財・1994年登録・基準(ii)(iv) | 古都京都の文化財・1994年登録・基準(ii)(iv) |
| 境内の史跡指定 | 1993年9月22日 | 1983年3月29日(2015年に追加指定) |
上賀茂神社と下鴨神社はどっちが先にできたのか
上賀茂神社(賀茂別雷神社)の公式サイトは、神代の昔に本殿の背後にある神山へ祭神が降臨したと伝えています。そのうえで、677年に山背国によって賀茂神宮が造営され、今もほとんど変容しない社殿の基がこのときに築かれた、と書いています。
下鴨神社(賀茂御祖神社)のほうは、もう少し込み入った書き方です。
正確な創祀は不明としたうえで、紀元前90年(崇神天皇7年)に瑞垣の修造が行われたという記録があるため、それ以前の古い時代から祀られていたと考えられる、と説明しています。そのあとに続くのが677年(白鳳6年)の造営です。山背国司に命じられて行い、このとき板葺や茅葺だった社殿を檜皮葺と瓦葺にかえた、とも書いています。
677年という年が、両社の説明でぴたりと重なります。ここが「どっちが先」を決められない理由です。
紀元前90年の記録を根拠に下鴨神社のほうが古い、と言いたくなるところですが、下鴨神社自身はその年を創祀の年として出していません。創祀より前から祀られていた根拠として挙げているだけです。上賀茂神社は降臨の伝え、下鴨神社は創祀不明。比べられる形で残っている年代は、結局どちらも677年の造営しかありません。
社伝で先後を決めるのは、この2社については無理だと考えています。どちらも、相手より古いとは言っていないのですから。
それでも年の数字で答えが欲しいなら、見る場所を変えましょう。国が文化財として指定した年なら、両社で動かない数字が残っています。
史跡の指定年では先後がはっきり分かれる
文化庁の国指定文化財等データベースを見ると、境内が国の史跡になった年は2社できれいに分かれます。賀茂御祖神社境内(下鴨神社)が1983年3月29日、賀茂別雷神社境内(上賀茂神社)が1993年9月22日。ちょうど10年の差です。
下鴨神社の境内は、2015年10月7日に追加指定も受けています。範囲が後から広がりました。
指定の中身はどちらも同じで、基準は「社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡」。特別史跡の扱いは受けていません。史跡は土地に掛かる指定で、建物を1棟ずつ選ぶものではありません。だから2社とも、境内全体がまとめて1件です。
先後を数字で見れるのは、この史跡の指定だけ。2社を比べるときに、自分はここを最初に見ます。
ただし並んでいるのは古さの順ではありません。国が指定した順です。10年の差を創建の先後の証拠として読むのはやめましょう。史跡・名勝・天然記念物という3つの指定がどう違うかは、別の記事にまとめました。
どっちが国宝か(本殿まわりの2棟ずつ)
国宝で差を付けようとすると、これがきれいに引き分けます。
上賀茂神社の国宝は本殿と権殿の2棟。下鴨神社の国宝は東本殿と西本殿の2棟。文化庁のデータベースでは、4棟とも年代が1863年(文久3)、構造は三間社流造(正面の柱間が3つある流造)・檜皮葺と記録されています。造られた時期も建て方も同じということです。
国宝になった日まで一致します。4棟とも1953年3月31日。指定番号は上賀茂神社が00141、下鴨神社が00142で、番号まで隣り合っています。さらに文化庁のデータベースには、本殿と東本殿の重要文化財としての指定日が、どちらも1901年8月2日と記録されています。
日付で先後を付けるのは、ここでも無理そうです。
棟数の意味が分かりやすいのは下鴨神社のほうです。西殿に賀茂建角身命、東殿に玉依媛命を祀ると説明していて、国宝の東本殿・西本殿はこの2柱に対応します。祀る神の数が、そのまま本殿の数になっています。神社の国宝が何棟で数えられるかという話は、厳島神社の記事でも扱いました。
差が出るのは重要文化財のほうです。上賀茂神社は国宝2棟・重要文化財41棟と公式サイトに書き、下鴨神社は本殿2棟が国宝、社殿53棟が重要文化財と説明しています。
データベースの棟一覧で中身を見ると、上賀茂神社は本殿権殿取合廊・祝詞舎・楼門・拝殿(細殿)・舞殿(橋殿)・外幣殿など。下鴨神社は幣殿・舞殿・神服殿・橋殿・細殿・楼門・摂社出雲井於神社本殿などが並びます。境内に建つ社殿は、棟数で見れば重要文化財の側が大半を占めます。
国宝と重要文化財がどう線引きされているかは、こちらの記事にまとめました。
どっちが世界遺産か(同じ1件の中の2つ)
2社とも世界遺産です。ただし別々に登録されたのではありません。1994年に登録された「古都京都の文化財」という1件の中に、17の構成資産として一緒に入っています。
文化庁のデータベースが挙げる17件を書き出すと、こうなります。賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)、教王護国寺、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺、天龍寺、鹿苑寺、慈照寺、龍安寺、本願寺、二条城。
上賀茂神社も下鴨神社も、この一覧の先頭に並ぶ2件というだけです。17件に上下や順位はありません。
世界遺産委員会が採択した顕著な普遍的価値の声明は、この物件のどこが世界的に価値あるものと認められたかを述べた文書です。それによると、17の構成資産は二条城を除いてすべて宗教施設。合わせて198棟の建物と12の庭園を含み、面積は1,056ヘクタールで、周囲には3,579ヘクタールの緩衝地帯が置かれています。
評価の対象は京都全体でした。文化庁が載せる登録の基準を読むと、京都は8世紀から17世紀にかけて宗教・非宗教の建築と庭園の意匠が発展する中心だった、とあります。もう一つの基準は、京都に残された一群の建築と庭園の意匠が、近代以前の日本の物質文化のこの側面で最高の表現であること。
2社は、京都がまとめて評価された枠の中にいます。どちらの神社が上か下かを世界遺産で決めようとしても、そもそもその物差しがありません。
同じ17件に入る金閣寺と銀閣寺の違いは、建てた人と時代から並べた記事があります。その金閣寺が世界遺産でありながら国宝ではない理由も、別にまとめました。
名前・場所・祭神の違いと、どっちから参拝するか
正式名はどちらも「賀茂」の字を使い、通称になると上賀茂・下鴨で字が分かれます。下鴨神社が「賀茂御祖神社」と呼ばれる理由は公式サイトが説明していて、賀茂一族の祖神を祀ることから来ているそうです。
鎮座地は文化庁のデータベースで確かめられます。上賀茂神社が京都市北区上賀茂本山町、下鴨神社が京都市左京区下鴨泉川町。市街地から見れば上賀茂神社のほうが北です。
下鴨神社の糺の森について、京都市の審議会に出た整備計画は、鴨川と高野川が合流する三角州の一帯にあり面積は124,000平方メートルと書いています。
祭神の関係は、下鴨神社が伝える神話にあります。玉依媛命が鴨川で禊をしていたとき、上流から流れてきた丹塗の矢を拾って床に置いたところ、矢が男神になって結婚し、子が生まれた、という筋です。
系譜のほうは京都府の公式サイトがはっきり書いていて、下鴨神社は賀茂別雷神社の祖父神と母である賀茂建角身命・玉依媛命を祀る、とあります。上賀茂神社が祭神とする賀茂別雷大神から見て、下鴨神社の2柱は祖父と母にあたるわけです。
葵の紋も、この神話とつながっています。上賀茂神社の説明によると、祭神の降臨のときに「葵を飾り祭りをせよ」という神託があり、それが御神紋になったそうです。葵祭の通称で知られる賀茂祭について、下鴨神社は544年(欽明天皇5年)にはじまったと書き、文化庁の国指定文化財等データベースは、上賀茂神社について賀茂祭りが京中の盛大な行事となったと記しています。賀茂祭は、両社の資料にまたがって出てくる祭ということです。
参拝はどっちから回るのがいいのか。
両社の公式サイトに順番の決まりは見当たりません。決まりが無い以上、神話の系譜に合わせたい人は母と祖父を祀る下鴨神社から、地図の並びで決めたい人は南の下鴨神社から北の上賀茂神社へ、で構いません。
もう一つ、下鴨神社は1036年(長元9)を第1回として式年遷宮の制度が確立し、今は21年に一度行っていると説明しています。造り替えを重ねてきた社殿だと知っておくと、国宝の年代が1863年と新しいことにも納得がいくはずです。
2社を比べるなら、見るのは本殿の棟数と、境内が史跡になった年の2点で足ります。前者は引き分けで、10年ずれるのは後者だけ。この形さえ押さえておけば、どちらが本家かという問いに振り回されずに済みます。
