現存天守12城と国宝5城は、比べる相手が違います。「現存」は江戸時代以前に建てられた天守がいまも残っているという事実で、「国宝」は文化財保護法に基づいて文部科学大臣が重要文化財の中から指定する区分です。国宝5城(姫路城・松本城・彦根城・犬山城・松江城)はすべて現存12天守に入り、残る7城(弘前城・丸岡城・備中松山城・丸亀城・松山城・宇和島城・高知城)の天守はすべて重要文化財。指定のない現存天守は1つもありません。
どっちが上かを問うなら、並べる相手は国宝5城と重要文化財7城です。国宝は重要文化財の中から選ばれるので、この2つなら国宝が上。現存12天守は、その両方をまとめて呼ぶ名前です。
| 現存天守(12城) | 国宝の天守(5城) | 重要文化財の天守(7城) | |
|---|---|---|---|
| 何を指すか | 江戸時代以前に建てられた天守が残っているという事実 | 重要文化財のうち、文部科学大臣が国宝に指定した天守 | 文部科学大臣が重要文化財に指定した天守 |
| 誰が決めるか | 誰も指定しない。残っているかどうかで数える | 文部科学大臣。文化審議会の答申を経て官報に告示 | 文部科学大臣(国宝と同じ手続き) |
| 根拠になる資料 | 江戸時代以前の天守が残っているという各城・自治体の説明 | 指定の告示。文化遺産オンラインなど文化庁のデータベースに載る | 指定の告示(国宝と同じ) |
| 数 | 12城 | 5城 | 7城(5+7=12) |
| 含まれる城 | 12城すべて | 姫路・松本・彦根・犬山・松江 | 弘前・丸岡・備中松山・丸亀・松山・宇和島・高知 |
| 変わりうるか | 失われれば減る。増えない | 指定で増える。2015年に松江城が加わった | 国宝に指定されれば減る |
| 「上」か | 上下の関係にない。5城も7城もこの中に入る | 重要文化財の中から選ばれた段階 | 国宝の前の段階 |
現存天守と国宝の違い(誰が決めるか・何が根拠か)
「現存天守」という言葉に、法律上の定義はありません。松山市の説明では、江戸時代以前に建造された天守が現代に残っているのは全国で12城しかなく、これを現存12天守と呼んでいます。残っている天守を数えた結果が、12という数字です。
「国宝」のほうは、文化財保護法が決めています。松江市がまとめた法令の資料によると、文部科学大臣はまず有形文化財のうち重要なものを重要文化財に指定し、そのうち「世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」を国宝に指定できます。文化庁の説明も同じで、重要文化財の中からさらに世界文化の見地から特に価値の高いものが国宝です。
事実と指定は、そもそも並べる相手になりません。
現存12天守を「箱」だと思うと分かりやすくなります。箱の中身は12城で、そのうち5城には国宝、7城には重要文化財の札。どちらの札もない天守は箱の中にありません。「現存天守と国宝5城はどっちが上か」と聞かれたら、上下があるのは箱の中の札のほうです。
指定は建物1棟ずつ、という点も押さえておきたいところです。姫路市の一覧では、姫路城は大天守など8棟が国宝で、櫓・門・塀の74棟は重要文化財。同じ城の中に両方の札があります。国宝と重要文化財の指定の流れと、姫路城・彦根城で棟ごとに分かれる指定は国宝と重要文化財の違いにまとめました。
現存12天守の一覧と指定区分(国宝はどれ・重要文化財はどれ)
12城を、国宝5城、重要文化財7城の順でまとめました。天守の年代と指定日は文化遺産オンラインの表記です。丸岡城や松山城のように自治体の説明と年代が食い違う城は、7城の理由のところで触れます。
| 城 | 天守の年代 | 指定区分 | 指定日(重要文化財→国宝) | 指定の対象 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 姫路城(兵庫) | 1608年 | 国宝 | 1931年1月19日→1951年6月9日 | 大天守など8棟が国宝、74棟が重要文化財 | 世界遺産(1993年) |
| 松本城(長野) | 1615年ごろ | 国宝 | 1936年4月20日→1952年3月29日 | 天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟 | |
| 彦根城(滋賀) | 1606年 | 国宝 | 1951年9月22日→1952年3月29日 | 天守、附櫓及び多聞櫓の1件 | 世界遺産の国内推薦に内定(2026年9月) |
| 犬山城(愛知) | 1601年 | 国宝 | 1935年5月13日→1952年3月29日 | 天守1棟 | |
| 松江城(島根) | 1611年 | 国宝 | 1935年5月13日→2015年7月8日 | 天守1棟 | 祈祷札で年代が確定 |
| 弘前城(青森) | 1810年 | 重要文化財 | 1937年7月29日 | 天守1棟 | |
| 丸岡城(福井) | 1576年 | 重要文化財 | 1934年1月30日 | 天守1棟 | 国宝化推進室あり |
| 備中松山城(岡山) | 1681〜1683年 | 重要文化財 | 1941年5月8日 | 天守・二重櫓の2棟と土塀1基 | |
| 丸亀城(香川) | 1643〜1660年 | 重要文化財 | 1943年6月9日 | 天守1棟 | |
| 松山城(愛媛) | 江戸末期 | 重要文化財 | 1935年5月13日 | 天守など21棟 | |
| 宇和島城(愛媛) | 1664〜1665年 | 重要文化財 | 1934年1月30日 | 天守1棟 | |
| 高知城(高知) | 1747年 | 重要文化財 | 1934年1月30日 | 天守・懐徳館・追手門など15棟(矢狭間塀6棟を含む。高知城公式サイトの数え方) |
表を見て気づくのは、年代の順と国宝の順が合っていないことです。
文化遺産オンラインの年代で一番古いのは丸岡城の1576年ですが、指定は重要文化財。一番新しい松山城(松山市の年表では1852年)も重要文化財です。国宝5城の年代は1601年から1615年ごろまでの15年ほどに固まっていて、古さの順で上から5つを取ったわけではないと分かります。
「指定の対象」の列も、国宝かどうかとは連動していません。松山城は天守を含む21棟が重要文化財で、松江城は天守1棟だけが国宝。棟の数が多いから国宝、という関係はないようです。
一覧で覚えるなら、地域で括るほうが早いと思います。四国の4城(丸亀・松山・宇和島・高知)はすべて重要文化財で、残る重要文化財が弘前・丸岡・備中松山の3城。それ以外の5城が国宝です。
7城が国宝ではない理由(旧国宝から重要文化財への経緯)
7城の重要文化財の指定日を見ると、1934年から1943年の間に収まっています。いまの文化財保護法ができたのは1950年なので、どれも法律より前の日付です。
これは、旧法(国宝保存法)で国宝だったものが、1950年にそのまま重要文化財に引き継がれた日付です。高知市の資料には、天守ほかの建物が1934年に国宝に指定されていたが、文化財保護法の成立によって1950年に重要文化財に格付けされた、とあります。
坂井市も丸岡城について、1934年に国宝保存法で国宝に指定され、1950年の文化財保護法の施行でそれまでの国宝はすべて重要文化財になったと説明しています。丸亀市の年表では、1943年に天守が国宝になり、1950年に重要文化財になったそうです。松山市も小天守の解説で、1935年に天守ほかが旧国宝に指定されたと書いています。
7城は、国宝から外されたわけではありません。1950年の切り替えで旧国宝の天守はいったんすべて重要文化財になり、その後に国宝へ指定し直されたのが姫路・松本・犬山・松江の4城。彦根城だけは新しい法律の下で1951年に重要文化財、翌年に国宝と進みました。まだ指定し直されていないのが7城です。
7城がまだ国宝でない理由を、文化庁や各自治体が資料で説明しているわけではありません。手がかりになるのは、城ごとの年代と残り方です。
松山城の天守は、松山市の年表では1852年の再建で、12城の中で一番新しい年代です。同じ松山市の説明によると、1933年には放火で小天守・南隅櫓・北隅櫓・多聞櫓などが焼け、1968年に文部省の基本設計図と仕様書に基づいて木造で復元されました。
天守本体は残ったので重要文化財のままですが、連立式(大天守と小天守を櫓でつないだ形)の天守群としては復元された部分を含んでいます。建物そのものを失って国宝の指定が解除された例は金閣寺の記事にあります。
丸岡城は年代が動いた城です。文化遺産オンラインの解説では、1576年の築城時の建築と考えられています。ところが坂井市は、2015年から2018年にかけての総合学術調査で、現在の天守は寛永年間(1624〜1643年)の建設と分かったと説明しています。1948年の福井地震で倒壊し、1951年に修理が始まって1955年に倒壊前の姿に戻された経緯もある天守です。
高知城の天守は、高知城公式サイトによると1727年の城下の大火で追手門以外のほとんどを失った後、1753年までに創建当時の姿のまま再建されたものです。高知市は、本丸御殿が全て残っているのは全国で高知城だけだと説明しています。天守だけを見れば18世紀の再建ですが、本丸がまとまって残る点は12城の中で高知城にしかない価値です。
残る4城は年代と形が手がかりになります。弘前城の天守は1810年の完成で、弘前市は江戸時代後期の天守の典型の一つで東北に残る唯一の遺構だとしています。
備中松山城は、高梁市の説明では1683年に完成した二重二階(外から見て屋根が2つ、中は2階)の天守です。標高430mの小松山に建ち、現存12天守の中で山城の形をとるのは備中松山城だけだそうです。天守の高さは約11mで、市は現存天守の中で最も低いと書いています。丸亀城は丸亀市によると1660年完成の三重三階、宇和島城は1664年からの大改修で再建された三重三階で、愛媛県の説明では高さ14.5mです。
国宝5城との差は、古さだけでは測れないと思います。建てられた年を裏付ける証拠があるか、その時代の天守建築を代表すると言えるか。この2点で見ると、7城それぞれの立ち位置が分かります。丸岡城は年代が動き、松山城は焼失と復元を経て、高知城は天守より本丸全体に価値があるとされる城。同じ「重要文化財」でも、中身は城ごとに違います。
松江城が2015年に国宝になった決め手
松江城の天守は、1950年に重要文化財になったあと、60年以上たってから国宝に指定し直された唯一の例です。姫路が1951年、松本・犬山が1952年に指定し直されたのに対し、松江城だけが2015年まで重要文化財のままでした。文化遺産オンラインでは重要文化財の指定日が1935年5月13日で、国宝の指定日が2015年7月8日。1935年に旧国宝、1950年に重要文化財、そして2015年に国宝へ、という順です。
きっかけは祈祷札でした。島根県の説明によると、2012年に再発見された祈祷札2枚によって、天守の築造年代が1611年(慶長16年)であると確定しました。松江市の資料では、2015年5月15日に文化審議会が国宝指定を答申し、同じ年の7月8日の官報告示で「松江城天守」1棟が国宝になっています。附(つけたり。本体と一緒に指定される付属品)として、祈祷札2枚、鎮宅祈祷札4枚、鎮物(しずめもの)3点が付きました。
年代だけが理由ではなさそうです。島根県は、調査研究によって2階分の通し柱を用いた特徴的で優れた構造であることが分かったと述べ、四重五階の天守を近世城郭最盛期を代表する建築だと評価しています。文化遺産オンラインの解説も、通し柱による構法などの独自の建築的特徴と、中国地方に唯一残る四重五階の天守であることを挙げています。
姫路城が1951年、松本城・彦根城・犬山城が1952年に国宝になってから、松江城まで60年以上、城の天守で国宝は増えませんでした。島根県は松江城を全国で5番目の国宝天守だと説明しています。
松江城の例を見ると、国宝と重要文化財を分ける線は「証拠のある年代」と「その時代を代表する構造」の2つだと分かります。祈祷札が出るまで、松江城の天守は7城と同じ重要文化財でした。建物は何も変わっていないのに、年代の証拠と構造の評価がそろった時点で指定が変わりました。7城を見るときも、この2つがそろっているかどうかで先を読めます。
国宝化を目指す城と世界遺産という別の制度
松江城の後に続こうとしているのが丸岡城です。坂井市は「丸岡城国宝化推進室」を置き、天守の総合学術調査の結果を推進室のサイトで公開しています(2026年9月時点)。年代は1576年から寛永年間へ後ろに動きましたが、証拠つきで確定したという意味では松江城と同じ段階に進んだと読めます。
高知市が価値として挙げているのは、本丸御殿が全て残るのは高知城だけだという点です。丸岡城が天守の年代で松江城の後を追うのに対して、高知城は天守1棟より本丸のまとまりで見る城だと思います。
世界遺産は、国宝とも現存天守とも別の制度です。12城のうち世界遺産に登録されているのは姫路城だけで、文化遺産オンラインによると登録は1993年。彦根城は1992年に世界遺産の暫定一覧表(推薦の候補として国が登録するリスト)に記載され、彦根市によると2026年9月3日の文化審議会世界文化遺産部会で国内推薦に内定しました。市は2028年の世界遺産委員会での決定を目指すと説明しています(2026年9月時点)。
「国宝なら世界遺産」という対応はありません。姫路城は現存天守・国宝・世界遺産のすべてに入る唯一の城で、松本城・犬山城・松江城は国宝ですが世界遺産ではありません。彦根城が登録されれば2城目になりますが、それでも国宝5城のうち3城は世界遺産の外に残ります。
12城を比べるなら、見るのは「年代に証拠があるか」と「その時代を代表する構造か」の2つで足ります。松江城はこの2つがそろった時点で指定が動き、丸岡城は年代の証拠がそろった段階です。国宝5城の外観の違い(黒い天守と白い天守)は松本城の記事で比べました。
