阿修羅像の高さは約153cm|重さ・何時代か・どこで見れるか

興福寺の阿修羅像の高さは153.4cmで、人の背丈ほどの像です。造られたのは734年(天平6年)の奈良時代で、資料では「天平時代」の仏像として紹介されています。阿修羅は「八部衆」と呼ばれる8体の守護神のうちの1体で、8体まとめて国宝に指定されています。本物は奈良市の興福寺境内にある国宝館で見れます(2026年9月時点)。

作品名(読み方)所蔵・展示場所時代大きさ技法
阿修羅像(あしゅらぞう)興福寺の国宝館(奈良市登大路町)。拝観できる(2026年9月時点)734年(天平6年・奈良時代)像高153.4cm脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)
八部衆の他の7体(五部浄・沙羯羅・乾闥婆・緊那羅・鳩槃荼・畢婆迦羅・迦楼羅)同じ国宝館733〜734年(奈良時代)重さ1体10〜15kg(日本語の解説)脱活乾漆造
比較: 奈良の大仏(東大寺の盧舎那仏)東大寺の大仏殿752年に開眼(奈良時代)座高14.98m金銅仏

阿修羅像の高さは153.4cm

153.4cmは、興福寺国宝館の多言語解説に載っている高さです。観光庁のデータベースに収められていて、古都奈良の文化財多言語解説整備推進協議会が作った文章だそうです。nippon.comの作品データも同じ153.4cmを載せています。

高さと並んで聞かれるのが重さです。八部衆の解説の日本語版は、8体の重さを「それぞれ10〜15kg」としています。英語版は「多くは10kg未満」と書いていて、数字が少し食い違います。どちらを取っても、人の背丈ほどある像としては驚くほど軽く、大人が抱えて運べる重さだと考えてよさそうです。

軽い理由は造り方にあります。脱活乾漆造は、粘土の原型の上に漆を染み込ませた布を何枚も貼り重ね、漆が固まってから原型を抜き取る技法だそうです。中は空洞になり、型崩れを防ぐために軽い木枠で補強します。目鼻や細かいところは、漆におがくずを混ぜた糊で仕上げてから色を塗ります。

153.4cmという高さは、見上げる像というより、人と同じくらいの目線で向き合う大きさです。奈良の大仏は、奈良市観光協会によると座高14.98m。座った姿で阿修羅像の10倍近くあり、こちらは見上げて全体をつかむ像です。阿修羅像は逆で、全体の大きさよりも、三つの顔それぞれの表情に目が向く大きさだと思います。大仏がなぜあの大きさになったのかは、東大寺の大仏が大きい理由の記事にまとめました。

阿修羅像は何時代・何文化か

阿修羅像は734年の作で、時代は奈良時代です。国宝館の解説は阿修羅像を734年、八部衆全体を733年から734年にかけての造立としています。文化庁のデータベースでも、八部衆立像の時代は「奈良」です。

「何文化か」と聞かれたら、日本史の呼び名でいう天平文化の頃の仏像です。資料が使っているのは「天平時代」という言い方で、nippon.comは時代を「天平時代(奈良時代)」とし、奈良市観光協会は興福寺の寺宝を「天平時代や鎌倉時代の至宝」と紹介しています。734年は天平6年にあたり、国立新美術館の展覧会の記録にも「天平6年(734)」とあります。

同じ天平の仏像を比べるなら、技法も造られた年もそろっている興福寺の八部衆8体が、いちばん比べやすい組み合わせです。

造らせたのは光明皇后(701〜760年)です。解説によると、光明皇后は興福寺を創建した藤原不比等の娘でした。

阿修羅像には、顔をめぐる話があります。コンピューター断層撮影(CT)で調べたところ、正面の顔の下に、眉をひそめて口を開いた別の顔があると分かったそうです。そこから、光明皇后が1歳を迎える前に亡くなった息子の基(もとい)親王をしのび、元の顔を覆って、より優しく若々しい顔に造り直させたのではないかという説も紹介されています。説の一つにすぎませんが、知っておくと正面の顔の静かな表情の見え方が変わります。

姿そのものも、阿修羅としては異例です。解説によると、阿修羅はふつう筋骨隆々で赤いしかめ面に牙を持ち、鎧を着けた姿で表されることが多いそうです。ところが興福寺の像は細身で、写実的な飾り帯と袴を着け、木製の草履(板金剛)を履いています。3対の腕のうち、いちばん上の2本は太陽と月を表す円盤を掲げ、真ん中の2本は弓矢を持っていたと考えられています。前の2本は合掌です。

解説によると、正面の顔は落胆と悔恨の静かな表情で、両脇の顔は憤りや苛立ちを表し、右側の顔は下唇を噛んでいます。全体として、仏の教えを聞いて悔い改める姿と読むのだそうです。

八部衆8体の名前と阿修羅の位置

八部衆は、インド神話から仏教に取り込まれ、仏とその教えを守る役割を担うようになった8種類の神々です。国宝館の解説によると、国家を守る力を持つとして奈良時代に重んじられた金光明最勝王経をはじめ、いろいろな経典に登場します。

興福寺の8体の名前と読み方は次のとおりです。読み方は解説の英語版のローマ字表記によっています。

  • 阿修羅(あしゅら)
  • 五部浄(ごぶじょう)
  • 沙羯羅(さから)
  • 乾闥婆(けんだつば)
  • 緊那羅(きんなら)
  • 鳩槃荼(くばんだ)
  • 畢婆迦羅(ひばから)
  • 迦楼羅(かるら)

この名前は今そう呼ばれているもので、もとは経典によく出てくる8種(アシュラ、デーヴァ、ナーガ、ガルーダ、ヤクシャ、ガンダルヴァ、キンナラ、マホーラガ)を表していた可能性が高いそうです。

8体のうち、阿修羅・五部浄・沙羯羅・乾闥婆の4体は少年の顔立ちです。これは八部衆の珍しい点とされ、造らせた光明皇后の願いが込められているのではないかという推定もあります。

阿修羅を見に行くなら、少年の顔をした他の3体にも目を向けてください。同じ年頃の顔と見比べると、阿修羅の正面の静けさと両脇の顔の苛立ちの差がはっきりします。

文化庁の指定名称は「乾漆八部衆立像(内一躯下半身欠失)」で、8躯が1件の国宝です。名称のとおり、8体のうち1体は下半身が失われています。

指定の経緯は少しややこしいところです。1902年4月17日に当時の制度で国宝(いわゆる旧国宝)に指定され、1950年の文化財保護法でその指定が重要文化財の指定とみなされました。そのうえで1951年6月9日に、今の法律での国宝に指定されています。

文化庁のデータベースで重要文化財の指定日が1902年になっているのは、この移行のためです。旧国宝と今の国宝の関係は、国宝と重要文化財の違いの記事で比べています。

阿修羅を仏像の4分類(如来・菩薩・明王・天)のどこに置くかは、如来と菩薩の違いの記事で東寺の説明をもとに触れています。4分類の見分け方もそちらにまとめました。

阿修羅像はどこで見れるか(興福寺国宝館)

阿修羅像の所蔵は興福寺で、本物は境内の国宝館で拝観できます。nippon.comの2026年9月の記事も、八部衆像は現在国宝館で拝観できると書いています。八部衆の他の7体も同じ国宝館です。

もともと8体は、興福寺の西金堂に安置されていました。解説によると西金堂は4回の火災に遭い、1717年の最後の火災のあとは再建されていません。それでも八部衆が焼けずに残ったのは、軽い脱活乾漆造で、火が出ても安全な場所へ運び出せたからだそうです。英語版は、1,300年の間に何度も起きた火災を8体とも生き延びたと書いています。

国宝館の拝観料は大人900円で、国宝館・東金堂・中金堂の3か所共通券もあります(2026年2月時点)。開館時間と臨時の休館は、出かける前に興福寺の公式サイトの拝観案内で確かめてください。

東大寺の大仏も同じ奈良市内にあります。人の背丈ほどの阿修羅像と座高14.98mの大仏を同じ日に見ると、10倍近い大きさの差と、布と漆で造った軽い像・金銅の大仏という造り方の差を続けて確かめられます。

参考