松本城の天守が黒いのは、外壁の下約3分の2を黒漆塗りの下見板張にしているからです。下見板張は、板を横に少しずつ重ねて張る外壁のことで、雨が直接かかる部分を漆を塗った板で覆う仕上げです。松本市の解説では、その上の部分は白漆喰で、破風は白漆塗、破風の内側の狐格子は黒漆塗と説明されています。下が黒くて上が白い天守、というのが正確な姿です。
建てたのは石川数正・康長の父子で、時期は1593〜94年ごろ。鉄砲狭間と矢狭間が115か所、石落が11か所という戦国末期の実戦向けの造りに、雨に強い黒漆の板張りが組み合わさっています。姫路城が白いのは、1609年に池田輝政が完成させた天守が白漆喰総塗籠造だからです。
「黒は豊臣、白は徳川」という説明は広く語られていますが、国宝5城の完成年を並べると図式が崩れます。答えは「どの仕上げを選んだか」と「いつ建ったか」の2つで読むほうが早い。
| 外壁の色と仕上げ | 天守の完成年(建てた人) | 国宝の指定 | 世界遺産 | 一言でいうと | |
|---|---|---|---|---|---|
| 松本城 | 黒。下約3分の2が黒漆塗りの下見板張、上部は白漆喰 | 1593〜94年ごろ(石川数正・康長)。諸説あり | 1936年に旧国宝、1952年3月29日に国宝(天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟) | なし | 現存最古級の五重天守 |
| 姫路城 | 白。白漆喰総塗籠造 | 1609年(池田輝政) | 1931年に旧国宝、1951年6月9日に国宝 | 1993年12月11日登録。登録基準(i)(iv) | 白鷺城。世界遺産(1993年) |
| 彦根城 | 白。壁・軒裏・破風を漆喰で塗り込め、黒漆と金箔の金具を多用 | 1606年(井伊家。1604年着工) | 1951年9月22日に重要文化財、1952年3月29日に国宝 | なし | 大津城からの移築と伝わる |
| 犬山城 | 白い壁と黒い柱の対比。望楼型 | 1601年(小笠原吉次)。創建年は諸説あり | 1935年5月13日に旧国宝、1952年3月29日に国宝 | なし | 望楼型。創建年に諸説 |
| 松江城 | 黒。厚い雨覆板(下見板張)で大部分を覆う | 1611年(堀尾氏) | 1935年5月13日に旧国宝、1950年に重要文化財、2015年7月8日に国宝 | なし | 祈祷札で完成年が確定 |
黒い天守が松本と松江、白い天守が姫路と彦根、その中間に犬山。完成年は松本1593〜94、犬山1601、彦根1606、姫路1609、松江1611の順で、色と年代はきれいには対応しません。
松本城が黒い理由(黒漆の下見板張と戦国末期の天守)
松本市の解説を踏まえると、松本城の黒は外壁の下側に張った板の色です。上の漆喰は白いままで、破風も白漆塗。黒と白が同じ天守に同居しています。
下見板張を選んだ意味は、雨の当たり方で説明がつきます。屋根の軒が守ってくれる上のほうは漆喰のままで済み、雨が直接吹きつける下のほうは板で覆い、その板を漆で守る。文化庁の文化遺産オンラインは、松本城の天守について「壁面に板張りがあるなど、古い形態を残している」と評価しています。板張りは古い時代の天守の仕上げだ、というのが文化庁の見方です。
建てた時期は、松本城管理課の資料では文禄2年から3年(1593〜94年)にかけて乾小天守・渡櫓・大天守が造られた可能性が高い、としています。根拠は系図の記述と、乾小天守と大天守の石垣が一体に造られていること。
同じ資料には、竣工を1595年とする説、1597年とする説、1600〜01年とする説もあるとあり、文化遺産オンラインは1594年から1599年にかけて造営されたものと思われる、と幅を持たせています。松本市の解説では築造者を石川数正・康長父子としています。
いずれにしても関ヶ原の前後、鉄砲が主役の時代です。松本城管理課によると、天守には鉄砲狭間と矢狭間が115か所、石落が11か所あり、1階と2階の壁の厚さは約29cm。狭間は下見板の部分に1間に1つの割合で開いていると松本市は説明しています。黒い板の面に狭間が並ぶ、という配置です。
辰巳附櫓と月見櫓は後から足された建物です。松本市の解説では、1633〜38年に松平直政が築造したとあります。月見櫓には回縁があり、塗り替え工事ではここに朱漆を塗ります。戦う天守に、月を眺める櫓が付いた形です。
黒は「雨と鉄砲の時代の仕上げ」として読むのがいいと思います。そう見ると、下だけ黒くて上が白い理由も、黒い面に狭間が並ぶ理由も、1つの説明でつながります。
「黒は豊臣、白は徳川」は本当か
松本城の黒については、豊臣秀吉の大坂城が黒かったのに倣った、石川数正が秀吉への忠誠を示した、という説明が定番です。関ヶ原より前の城は黒く、後の城は白い、という言い方もよく見かけるものです。
ただし、松本市の解説にも松本城管理課の資料にも、この説明は出てきません。公式の資料が書いているのは仕上げの工法と年代だけです。
冒頭の表の完成年を見ると、図式に合わない例が国宝5城の中にあります。彦根城は1606年の完成で白。松江城は1611年の完成で黒。徳川の時代に入ってから建った松江城のほうが、関ヶ原直後の彦根城より黒い。年代だけで色は決まっていません。
5城を一貫して説明できるのは、どの仕上げを選んだかという見方です。黒い城は下見板張、白い城は漆喰の塗籠。冒頭の表を見るときも、完成年の列と仕上げの列は切り離して読んでください。
今も黒漆を塗り続ける理由(毎年秋の塗り替え)
松本観光コンベンション協会の案内(2026年9月時点)には、黒壁の天守は全国にいくつかあるが、今でも黒漆を塗り続けているのは松本城天守だけだ、とあります。漆が固まりやすい秋に行う恒例の事業だそうです。
2026年9月時点で、松本城管理課は2026年8月24日から10月31日までの予定で天守塗装工事をすると知らせています。対象は天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓の下見板の黒漆と、月見櫓の回縁の朱漆、石落の漆喰部分の白塗装。天守の内部は通常どおり入場できますが、月見櫓の一部は漆の乾燥のため入れないとのことです。期間は天候で変わる可能性があると書かれています。
毎年塗り直すのは手間に見えますが、松本城管理課はこれを美観と保全を目的とした定期的な手入れだと説明しています。松本城の黒は、建てた当時の仕上げであると同時に、いま続いている保存の方法でもあるわけです。
塗りたての黒を見れる(見られる)時期を選ぶなら、塗り替えが終わった直後の晩秋です。工事期間は年ごとに変わるので、行く年の案内を松本城公式サイトで確かめてください。
姫路城が白い理由(白漆喰総塗籠と江戸初期)
姫路市の解説によると、1600年に城主になった池田輝政が1601年から改築を始め、1609年に5重7階の連立式天守が完成しました。文化遺産オンラインは、この天守を「我国の城郭建築最盛期を代表するもの」とし、白漆喰塗りの城壁の美しさから白鷺城の名で呼ばれている、と説明しています。
白い理由は、姫路市が「白漆喰総塗籠造の外装」と呼ぶ工法です。科学技術振興機構の番組解説では、外に出る面をすべて漆喰で仕上げる工法とされています。漆喰は火に強く、鉄砲の時代に城の防御に使われるようになった材料だそうです。
板を漆で守る松本城に対して、姫路城は壁を丸ごと漆喰で固めて火から守る。同じ「守る」でも、雨を先に見るか火を先に見るかで色が分かれた、と読めます。
世界遺産としての評価も、この工法と切り離せません。姫路市の解説は登録の理由を2点で説明しています。1つは、美的完成度が日本の木造建築の最高の位置にあること。もう1つは、17世紀初頭の城郭建築の最盛期に天守群・櫓・門・土塀・石垣・堀が良好に保存され、防御に工夫した日本独自の城郭の構造を最もよく示していることです。登録は1993年12月11日で、法隆寺とともに日本で最初の世界文化遺産でした。
国宝5城のうち世界遺産に登録されているのは姫路城だけで、松本城は世界遺産ではありません。国宝は建造物としての価値を国が指定するもので、世界遺産は城全体の残り方を含めて評価する制度です。松本城は天守5棟が国宝、姫路城は天守と城域が世界遺産、と役割の違う2つの制度に別々に載っています。国宝と重要文化財の違いは別の記事にまとめました。
国宝5城の外観の違い(彦根・犬山・松江も並べる)
彦根城は白い城ですが、姫路城とは白さの見せ方が違います。文化遺産オンラインは、壁・軒裏・破風を漆喰で塗り込めた上で、金箔を押した飾り金具や黒漆を多用する華麗な意匠が特徴だと書いています。白地に黒と金を差す天守です。
完成は1606年で、天守の隅木の墨書や文書から少なくともこの年には完成していたと考えられるそうです。彦根城運営管理センターは、天守は大津城から移築されたといわれ、2年足らずで完成したと説明しています。
犬山城は望楼型といって、入母屋造の建物の上に見晴らしの櫓を載せた古い形の天守です。文化遺産オンラインでは1601年に小笠原吉次が建て、1620年ごろに城主の成瀬正成が望楼を上げたとしています。一方で犬山市の公式サイトは1537年に織田信康が建てたと説明していて、創建年には説の幅があります。
外観については、2019年に終わった修理で漆喰を塗り直し、内外とも白い壁と黒い柱の対比が鮮やかになった、というのが犬山市の知らせ。白と黒が半々に見える天守、と言っていいでしょう。
松江城は松本城と同じ黒い天守です。国宝松江城ホームページの解説では、天守の大部分が黒く厚い雨覆板で覆われていて、板の黒い染料は湿気を防ぐ柿渋やすす、漆などを混ぜたものと言われている、とあります。松本城管理課が「黒漆」と書くのに対し、松江城のほうは漆だけとは書かれていません。塗料の中身は城ごとに違うと見ておくのがよさそうです。
完成は1611年。島根県の解説によると、2012年に再発見された2枚の祈祷札で完成年が確定し、2階分の通し柱を使う構造の特徴とあわせて、2015年7月8日に国宝になりました。
5城は、板で覆った面の広さで並べると実態に近いと思います。松本と松江は下側を板で覆い、犬山は壁と柱の対比が出て、彦根と姫路は漆喰で塗り固める。板が広いほど黒く、漆喰が広いほど白い。この並びなら、年代の順番と色が合わない松江城も無理なく置けます。
松本城の国宝指定と「なぜ国宝か」
松本城管理課の資料によると、松本城は1930年に史跡になり、1936年に国宝保存法による国宝(いまは旧国宝と呼ばれます)に指定されました。1950年に制定された文化財保護法により、1952年3月29日に改めて国宝に指定されています。城郭では姫路城に次ぐ指定だったそうです。松本市の解説では、国宝の対象は天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟です。
なぜ国宝かは、文化遺産オンラインの評価に書かれています。現存する天守のうちでは規模の大きいものの1つで、年代的にも古い例であること。北と東に乾小天守以下の建物を従えて、平面でも立体でも変化に富んだ姿であること。屋根に唐破風や千鳥破風を設けた巧みな意匠と、壁面に板張りを残す古い形態。これらを理由に、日本の城郭建築の中でも特に重要な位置を占める、と文化庁は評価しています。黒い板張りは、国宝の理由の1つでもあるわけです。
月見櫓については、松本城管理課の解説に、指定当時の説明で殿舎風の造りが姫路城西の丸の化粧櫓とともに城郭建築の中で異彩を放つと評価された、とあります。
現存しているのは、修理の積み重ねがあったからです。松本城管理課の資料では、1903年から1913年にかけて松本中学校の校長だった小林有也が主導した明治の大修理があり、経費の約8割を住民の寄付で賄ったとあります。1950年から1955年には全面解体修理をして、江戸時代の姿に復元しました。
松本城は、建てた当時の建物を修理で残してきたことが国宝の前提になっています。建物が残らなかった例として、金閣寺がなぜ国宝じゃないかを別の記事に書きました。
