姫路城が「白鷺城」と呼ばれる直接の理由は、白漆喰で塗り固めた外壁の白さです。姫路市は、白い漆喰壁の姿がシラサギが羽根を広げている様子に見えることから白鷺城とも呼ばれる、と説明しています。読み方は「はくろじょう」と「しらさぎじょう」の2通りで、市はどちらも愛称として併記しています。
国宝なのは天守群8棟で、文化庁は城郭建築の最盛期を代表するものとして重要だと書いています(1951年6月9日指定)。世界遺産になったのは1993年12月11日。木造建造物群の傑作であることと、17世紀初期の姿をほぼ完全に残していることの2点で評価され、日本で最初の文化遺産のひとつになりました。
| 城 | 別名と公式の扱い | 国宝の建造物(指定日) | 指定・登録の理由(要旨) | 世界遺産 | 城跡の国の指定 |
|---|---|---|---|---|---|
| 姫路城 | 白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)。白漆喰の外壁の白さから。姫路市が愛称として併記 | 天守群8棟(1951年6月9日) | 国宝は城郭建築最盛期を代表するものとして。世界遺産は木造建造物群の傑作で、17世紀初期の姿をほぼ完全に残すとして | 1993年12月11日登録。登録基準(i)(iv) | 特別史跡「姫路城跡」。1956年11月26日 |
| 二条城 | – | 二の丸御殿6棟(1952年3月29日) | 京都市は二の丸御殿を、国内の城郭に残る唯一の御殿群と説明 | 1994年12月登録の「古都京都の文化財」の構成資産。登録基準(ii)(iv) | 史跡「旧二条離宮(二条城)」。1939年11月30日 |
| 松本城 | 公式サイトは別名「烏城」を誤りと案内 | 天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟(1952年3月29日) | – | なし | 史跡「松本城」。1930年11月19日 |
| 彦根城 | – | 天守、附櫓及び多聞櫓(1952年3月29日) | – | なし | 特別史跡「彦根城跡」。1956年7月19日 |
| 犬山城 | – | 天守(1952年3月29日) | – | なし | 史跡「犬山城跡」。2018年2月13日 |
| 松江城 | – | 天守(2015年7月8日) | – | なし | 史跡「松江城」。1934年5月1日 |
国宝の天守を持つ5城のうち、世界遺産なのは姫路城だけ。二条城も世界遺産ですが、国宝になっているのは二の丸御殿の6棟です。
「白鷺城」の由来(白漆喰の白さと、城が乗る鷺山)
文化庁の文化遺産オンラインは、姫路城大天守について「白漆喰塗りの城壁の美しさから白鷺城の名で呼ばれている」と書いています。同じ文化庁の世界遺産のページでも、白壁で統一された外観から白鷺城の別称がある、という説明です。
公式の資料がはっきり書いているのは、ここまで。
鳥の名前が入っているので白鷺という鳥そのものに由来すると受け取られがちですが、姫路市の説明は、白い漆喰壁の姿がシラサギの羽根を広げた様子に見える、という見立てになっています。壁の白さが先にあって、鳥はそこから引き出された比喩、という順番です。
もうひとつ、地名という手がかりもあります。文化庁の姫路城跡の説明によると、姫路城は姫山と鷺山からなる丘陵に築かれていて、鷺山の高いところに西の丸が置かれています。「鷺」の字は、城が乗っている地面の側にもあるわけです。
白い外観を作っているのは白漆喰総塗籠という仕上げで、壁も軒裏も漆喰で包み込みます。同じ国宝の天守でも、松本城は外壁の下約3分の2が黒漆塗の下見板張(板を横に重ねて張る仕上げ)だと松本市が説明しています。色が分かれる理由は松本城はなぜ黒いのかにまとめました。
通称の扱いは城によってまるで違います。松本城の公式サイトは、別名として広まっている「烏城」は誤りだ、とわざわざ案内を出しているほど。姫路城のほうは、市が白鷺城を愛称として自分から書いています。
なお、同じ字を使う岡山城の「烏城(うじょう)」は別の城の別の呼び名で、松本城の案内とは関係ありません。
由来をもっと深く追いたいなら、姫路市立城郭研究室が基礎テキストとして挙げている橋本政次『姫路城の話』(神戸新聞総合出版センター、1993年)が入口になります。研究室の案内によれば、この本は「なぜ白鷺城というのか」といった質問に答える形で書かれているそうです。
由来を1つに決めたがるより、どこまでが公式の説明かを覚えておくほうが確かです。公式が言い切っているのは外観の白さまでで、鷺山という地名のほうは実際にあります。この2つを押さえておけば、細かい説の当たり外れに振り回されずに済みます。
「白鷺城」の読み方と、「姫路」という地名の由来
読み方はどちらでもかまいません。姫路市の世界遺産のページには「白鷺城(はくろじょう、しらさぎじょう)」と2通りが並んでいて、市はどちらかを正解として選んでいないからです。
漢字を音で読めば「はくろじょう」、訓で読めば「しらさぎじょう」。地元の公式が両方を認めている以上、正誤を争う意味は薄いです。
由来を考えるときは、「姫」と「鷺」がどちらも丘の名前でもある点を覚えておくと得をします。鷺山のことは先に書いたとおりで、「姫」のほうも姫山という丘の名から続いています。
では「姫路」はどこから来たのか。姫路城公式サイトは、播磨国風土記に出てくる「日女道丘」からきていると説明しています。流れ着いた蚕子にちなむ丘の名で、蚕子は古語で「ひめじ」と読んだのだそうです。その日女道丘が、いまの姫山にあたるとされています。
同じページによると、地名としての「姫路」という呼び方が文献に現れるのは江戸時代初期。池田輝政が城を築き、城下町を整えた当時のことだそうです。
姫路城はなぜ国宝なのか(国宝は何棟か、どこまでが国宝か)
姫路市の一覧によると、姫路城の国宝建造物は大天守、西小天守、乾小天守、東小天守と、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓4棟。合わせて8棟で、指定日はどれも1951年6月9日です。渡櫓には、附(つけたり)として台所1棟が加えられています。本体と一緒に守るべきものとして添える扱いです。
国宝になっているのは、大天守と3基の小天守、それらをつなぐ渡櫓までのひとまとまり。文化遺産オンラインの説明でも、大天守は3基の小天守と渡櫓で繋がれて連立天守郭を構成する、とされています。
国宝に選ばれた理由そのものは短い一文で済まされています。我が国の城郭建築最盛期を代表するものとして重要、というのが文化庁の書き方。建てたのは関ヶ原の戦いの功で城主になった池田輝政で、慶長14年(1609年)末にはおおむね完成したと考えられている、というのが同じ資料の見方です。
大天守の規模は、文化庁の記録では五重六階に地下一階が付く本瓦葺。外から数えると5つの屋根、中に入ると地下を含めて7つの階、という数え方の違いです。姫路城公式サイトの解説も5重6階として、大天守の高さを海抜92mと出しています。
残りの櫓・門・塀はどうなっているか。姫路市の一覧では「姫路城(国宝を除く)」の名前で1件74棟の重要文化財で、指定日は1931年12月14日です。国宝より20年古い日付なのは、文化財保護法より前の旧法での国宝指定を引き継いでいるから。この経緯と棟ごとの指定の読み方は国宝と重要文化財の違いで説明しています。
城を歩くとき、菱の門から先の門や塀は重要文化財で、その奥の天守群が国宝。この区切りを知っておくと、8棟という数字が何を指しているのか分かります。
姫路城はなぜ世界遺産なのか(1993年の登録と、評価の中身)
姫路市によると、姫路城が世界遺産一覧表に載ったのは1993年12月11日。「法隆寺地域の仏教建造物」と同じ日で、日本で最初の文化遺産でした。文化庁の日本の世界遺産一覧を見ると、この年に登録されたのはほかに屋久島と白神山地。2件は自然遺産で、区分の違いは文化遺産と自然遺産と複合遺産の違いにあります。
評価の中身は2本立てです。姫路市の説明では、世界遺産に登録するかどうかを決める「顕著な普遍的価値」(国を越えて共有すべき値打ち、という意味の世界遺産の用語)として、姫路城は木造建造物群の傑作とされています。白漆喰の使用と、いくつもの建物と屋根が重なってできる細やかな構成。その両面で、合理的な機能を卓越した美に結びつけている、という評価です。
もう1本は、日本の木造城郭建築の最高点を表し、その重要な特徴を損傷なく保存している、という言い方。前半は出来のよさ、後半は壊れずに残っていることを言っています。登録の理由は、この2点の組み合わせだと読むのが正確です。
残り方のほうは、本物であり続けているかという評価でさらに具体的に書かれています。1934年から続く一連の保存修理は、木造建造物の修理のために日本で育ってきた技術で行われ、新しい材料を使うことは厳しく管理されてきたそうです。19世紀と20世紀に増築された建物は撤去されています。唯一の現代的な材料は、地震対策として入れた鉄筋コンクリートの基礎だけ、という説明です。
手を入れ続けているのに本物であり続けている、という理屈が世界遺産では通ります。登録基準のどれに当たるかで評価の中身が変わる例は、富士山はなぜ文化遺産なのかでも見れます。
姫路城公式サイトによると、いまもニの櫓や水の一門などの保存修理が続いていて、終わるのは2027年7月下旬頃の予定だそうです(2026年9月時点)。
「美しいから登録された」という説明は、半分しか当たっていません。機能と美が一体であること、そして手を入れながら本物を保ってきたこと。姫路城の評価は、この両方で組み立てられています。
国宝・特別史跡・世界遺産が重なる城
国宝8棟と重要文化財74棟を足すと82棟。この数字が、姫路城がまるごと残っているかどうかの評価にそのまま出てきます。姫路市の要約によると、天守や櫓、門、石垣などを含む82棟の構成要素が、17世紀初期の配置と状態をほぼ完全に保っている、という評価です。
「どこまでが世界遺産なのか」と聞かれたら、堀で区画された特別史跡の範囲、と答えるのが一番近いです。姫路市も、資産は内曲輪と中曲輪の一部にあたる特別史跡の範囲に限られる、と書いています。
制度ごとに数える単位が違う、と考えると分かりやすいです。国宝と重要文化財は棟を数え、特別史跡は土地を囲み、世界遺産の範囲はその囲いをそのまま使って決められています。姫路城で国宝・特別史跡・世界遺産が同時に成り立つのは、同じ城をそれぞれ別の単位で押さえているからです。
その特別史跡の指定は、1928年9月20日に国の史跡になったのが先で、特別史跡になったのは1956年11月26日。世界遺産として保護される資産の範囲は、1993年の登録当時の特別史跡の指定範囲そのままで、107ヘクタールです。
その外側に、周辺環境を守るための緩衝地帯が143ヘクタール。江戸時代後期の城下、内町と外町の一部にあたる範囲で、合わせると約250ヘクタールになります。
国宝5城と二条城の中で、姫路城だけが世界遺産である理由
同じ「世界遺産の城」でも、二条城は組み合わせが違います。世界遺産としては1994年登録の「古都京都の文化財」の構成資産で、国宝は天守ではなく二の丸御殿の6棟。京都市は、江戸城・大坂城・名古屋城の御殿が失われたいま、国内の城郭に残る唯一の御殿群だと説明しています。
城の世界遺産といっても、姫路城と二条城では守られている建物の種類から違うわけです。
建物が残っているかどうかは、そのまま指定に響きます。岡山城の外壁は黒塗りの下見板で覆われていて、そこから「烏城(うじょう)」の別名がある、というのが岡山城公式サイトの説明。戦前には天守が国宝でしたが、岡山大空襲で焼け落ちてしまったと岡山市が書いています。いま建つのは1966年の再建です。
焼けた建物の指定がその後どう扱われたかは、文化庁が「焼失により指定解除」と記している金閣の例が分かりやすく、金閣寺はなぜ国宝じゃないのかにまとめました。
姫路城公式サイトは、400年の歴史の中で戦にも近代の戦災にも遭わなかった城として、姫路城を「不戦・不焼の城」と呼んでいます。82棟が17世紀初期の状態で残っているという世界遺産の評価も、この巡り合わせの上に成り立ったもの。
5城を比べるなら、国宝の棟数より「城域ごと残っているか」を見るほうが差がはっきりします。天守だけが残った城と、天守群も櫓も門も塀も残った城では、同じ国宝でも見れるものの量が違うからです。
