富士山が文化遺産なのは、山に向けられてきた信仰と、山を描いた芸術が世界的な価値として認められたからです。2013年6月22日、第37回世界遺産委員会で世界文化遺産に登録され、登録名は「富士山」に「信仰の対象と芸術の源泉」という副題を添えたものになりました。
もともと地元は自然遺産を目指していました。2003年5月に環境省と林野庁の検討会が国内19地域を詳しく調べて自然遺産の候補を絞ったとき、富士山は選ばれず、これを境に文化遺産へ方針を変えています。屋久島や知床とは評価の物差しがそもそも違うので、「自然遺産に落ちた山」と読むより「信仰と芸術の物差しでは世界に類例がない山」と読むほうが実態に近いです。
| 物件 | 種別 | 登録基準 | 国内の指定 | 評価された中身 |
|---|---|---|---|---|
| 富士山 | 文化遺産(2013年6月) | (iii)(vi) | 特別名勝・史跡・国立公園(国宝の建造物はない) | 富士山信仰の伝統と、浮世絵を通じて世界の芸術に与えた影響 |
| 屋久島 | 自然遺産(1993年12月) | (vii)(ix) | 屋久島国立公園(2012年)ほか | 樹齢千年を超えるスギの自然景観と、海岸から山頂まで連続する植生 |
| 知床 | 自然遺産(2005年7月) | (ix)(x) | 国立公園ほか | 流氷が育む海と陸の生態系、シマフクロウなど希少種の生息地 |
| 紀伊山地の霊場と参詣道(高野山・熊野) | 文化遺産(2004年7月) | (ii)(iii)(iv)(vi) | 史跡・名勝ほか | 山岳修行の霊場と参詣道 |
登録基準の番号は6番までが文化、7番から10番までが自然の物差しで、富士山には自然側の番号が1つも付いていません。
富士山が文化遺産になった理由(登録基準の中身)
環境省は、富士山に認められた2つの基準をこう説明しています。1つは「富士山信仰」という、山岳に対する固有の文化的伝統を表す証拠であること。もう1つは、世界的に意義のある芸術作品と直接的で有形の関連があること。前者が登録名の「信仰の対象」、後者が「芸術の源泉」に当たります。
文化庁の文化遺産オンラインは、富士山を「一国の文化の基層を成す名山」として世界的に著名だと書いています。噴火する山を神として畏れ、鎮まったあとは登って拝み、その姿を歌や絵に残してきた。国が推薦したのはその積み重ねで、資産の主役は山そのものより「山に向けてきた人の関わりの跡」です。
イコモス(世界遺産委員会に評価を出す諮問機関)の評価書を読むと、この2つがどう見られたかがはっきりします。宗教的な伝統は歴史のいくつもの段階を通じて受け継がれたもので、西洋美術に影響を与えた富士山の図像は19世紀という一時代に集中している。その2つが融合しているところが富士山を際立たせている、と評価書は述べています。
裏を返すと、日本側が当初求めた「人類の歴史の重要な段階を示す景観」という基準は、証明されていないとして退けられました。認められたのは信仰と芸術の2つだけで、それで足りたということです。
国内の指定も見ておきます。富士山の山体は1952年に名勝、同年11月に特別名勝となり、山頂と周辺の信仰遺跡は2011年2月に史跡「富士山」として一括指定されています。国立公園としては1936年2月に富士箱根国立公園が指定され、構成資産面積の99%が国立公園に入っているというのが環境省の説明です。
国宝の建造物は構成資産に1つもありません。
金閣寺が国宝でないまま世界遺産に入っている例と同じで、珍しいことではありません。特別名勝や史跡が国宝とどう違うかは国宝と重要文化財の違いの記事に書きました。
自然遺産を断念した経緯(1992年から2013年まで)
登録までの道のりは、山梨県立富士山世界遺産センターの年表と2008年の佐野充氏の論文によると次のとおりです。
| 年月 | 出来事 |
|---|---|
| 1992年6月 | 日本が世界遺産条約を批准 |
| 1992年12月 | 山梨・静岡の自然保護団体が「富士山を世界遺産とする連絡協議会」を結成 |
| 1994年 | 3月に連絡協議会が百万人署名運動を開始。署名を添えた請願は保留となる。11月に別団体「富士山を考える会」が衆参両院議長に請願し、12月に採択 |
| 2003年3〜5月 | 環境省・林野庁の検討会が自然遺産の候補を検討。19地域のうち知床・小笠原諸島・琉球諸島を選び、富士山は残らず |
| 2003年 | 山梨県知事が県議会で文化遺産としての登録を目指す方針を表明(佐野氏の論文による) |
| 2005年 | NPO「富士山を世界遺産にする国民会議」が発足。12月に山梨・静岡の両県合同会議が発足 |
| 2007年1月 | 文化庁が暫定リストの追加候補に選定 |
| 2012年1月 | 政府が推薦書をユネスコに提出 |
| 2012年12月 | イコモスが日本に書簡で三保松原の除外などを照会 |
| 2013年5月1日 | 環境省がイコモスの勧告「三保松原を除き記載が適当」を発表 |
| 2013年6月22日 | 第37回世界遺産委員会(プノンペン)で登録決定 |
転換点は2003年5月26日の検討会です。環境省と林野庁が公表した文書には、詳細に検討した19地域として利尻・礼文から山陰海岸まで並び、そこに富士山と南アルプスも入っています。この中から「登録基準と完全性の条件を満たす可能性が高い」と判断されたのは知床・小笠原諸島・琉球諸島の3地域だけでした。完全性とは、資産が価値を示すのに必要な要素をすべて含んでいることです。
佐野氏の論文は、主な原因は国民が富士山に抱いてきたごく普通の認識が、世界的に顕著な普遍的価値を求める世界遺産の基準と合わなかったことだろう、と見ています。よく言われるゴミやし尿の問題(論文はこれを認識のずれの例に挙げています)も、成層火山は世界に数多いという指摘も、この論文に出てくる話で、検討会の公表文書には書かれていません。
検討会の文書のほうが明文で書いているのは、日本のように狭い国土に人口が密集し、土地が多面的に使われてきた国では、自然遺産の基準を完全性まで含めて満たす地域はおのずと限られる、という結び。そのうえで、選ばれなかった地域はそれぞれの特質に応じて「文化的景観の分野」などからも検討する余地があるだろう、と書き添えています。
自然遺産の候補から外した文書そのものに、文化遺産への道が書いてあったわけです。
同じ年に山梨県知事が文化遺産の方針を表明し、2005年に両県が合同会議を作った流れは、この結びと同じ方向に動いたもの。佐野氏の論文も、この検討会を契機に文化遺産への流れができたと書いています。
登録名も一度で決まったわけではありません。年表によると、日本側は2013年2月の回答で名称を「富士山」から「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」に改めました。イコモスはその後の評価書で、精神性と芸術性が伝わるよう名称をさらに広げることを勧めています。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という長い登録名は、6月の委員会の決議で確定したものです。
屋久島・知床との違い(自然遺産の物差しと文化遺産の物差し)
環境省の資料で屋久島が評価された中身を見ると、富士山との違いが具体的になります。屋久島は小さな島に2,000mに迫る山があり、海岸から山頂までのきわだった標高差の中で、樹齢千年を超える巨大なスギの天然林が広がる自然景観。もう1つは、亜熱帯の海岸植生から山頂の冷温帯のササ草地まで植生が連続して分布する島の生態系です。
知床は、北半球で最も低緯度の季節海氷域として海と陸の生態系がつながっている点と、シマフクロウやサケ科魚類、海棲哺乳類にとって世界的に重要な生息地である点で登録されました。同じ資料は白神山地を東アジアで最大の原生的なブナ林と書いています。
どれも「地球上でここにしかない自然の状態」を証明しています。
富士山の場合、環境省の説明にも文化庁の説明にも、山体の自然そのものを世界的に唯一とする記述はありません。
検討会が大雪山・日高山脈について「よく似た自然環境のシホテ・アリン山脈が2年前に登録済みなので優位性の証明が第一の課題」と書いたように、自然遺産では類例との比較が壁になります。成層火山は世界に数多くあるので、この壁は富士山にとってとりわけ高かった、というのが佐野氏の論文の見方です。
信仰と芸術の物差しでは、山麓に8つの浅間神社と4本の登山道が残り、北斎の版画が19世紀の西洋美術に影響を与えた山は他にありません。
比べるなら「屋久島のスギ」と「富士山の浮世絵」の2点だけで足ります。この2つを並べれば物差しの違いが分かります。
複合遺産になるには自然側の基準も要りますが、富士山には付いていないので複合にはなれません。文化遺産・自然遺産・複合遺産の制度そのものの違いは別の記事にまとめました。
信仰の対象としての富士山(浅間神社・登山道・富士講)
静岡県の富士山とことんガイドは、信仰の始まりを噴火に置いています。荒ぶる噴火のために神の住む山として畏れられ、その神を祀るために麓に浅間神社が建てられた。平安時代後期に噴火が静まると、遠くから拝む「遙拝」から、登って拝む「登拝」へと形が変わったそうです。
登拝を担ったのは修験道で、12世紀前半には末代上人が山頂に大日寺を築いたとされています。室町時代の後半には一般の人も登るようになり、戦国時代の長谷川角行の教えが江戸時代中期に「富士講」として関東を中心に広まりました。
富士講の信者は、麓の御師(おし)の家に泊まって案内人を頼み、登山道を登りました。イコモスの評価書も、巡礼者が御師住宅に滞在して案内者を雇ったことを資産の中身として書いています。構成資産のうち浅間神社8社、登山道4本、御師住宅2件がこの側面を担っています。
登録後に文化庁が出した保全状況報告書を見ると、来訪者管理の目標の1つが「17世紀以来の登拝に起源する登山の文化的伝統の継承」。登山道は観光のための道である前に、信仰の道として世界遺産になっている、という順序です。
芸術の源泉としての富士山(浮世絵と三保松原)
文学では、奈良時代の万葉集にすでに富士山を詠んだ歌があり、竹取物語や伊勢物語にも登場します。絵画に現れるのは平安時代からで、現存する最古の絵は秦致貞の聖徳太子絵伝だと静岡県の富士山とことんガイドは書いています。
世界遺産の評価で決め手になったのは江戸時代の浮世絵です。
イコモスの評価書は、17世紀から19世紀に富士山が絵画・文学・庭園・工芸の主題になったと述べています。とりわけ葛飾北斎の「冨嶽三十六景」などの木版画が19世紀の西洋美術に深い影響を与え、富士山の姿を世界に広く知らしめた、というのが評価書の見方です。静岡県のガイドによれば、浮世絵の輸出がゴッホやモネに衝撃を与えたそうです。
この「描かれた景色」を守るために、保全状況報告書は本栖湖北西岸の中ノ倉峠と三保松原の2か所を主要な展望地点として定め、さらに34か所を観測地点に加える計画を書いています。登録後に委員会から求められた経過観察の強化に応えたもので、三保松原が富士山から離れているのに構成資産に入っている理由も、ここにあるわけです。
構成資産25件の一覧(どこまでが世界遺産か)
山梨県のセンターと文化遺産オンラインの一覧をもとに、25件を役割で分けるとこうなります。
| 区分 | 構成資産 | 役割 |
|---|---|---|
| 富士山域(1件) | 山頂の信仰遺跡群、大宮・村山口(現富士宮口)・須山口(現御殿場口)・須走口・吉田口の4登山道、北口本宮冨士浅間神社、西湖、精進湖、本栖湖 | 登拝の舞台 |
| 浅間神社(7件) | 富士山本宮浅間大社、山宮浅間神社、村山浅間神社、須山浅間神社、冨士浅間神社(須走)、河口浅間神社、冨士御室浅間神社 | 祈りの場 |
| 御師住宅(2件) | 旧外川家住宅、小佐野家住宅 | 富士講の宿 |
| 湖と湧水(10件) | 山中湖、河口湖、忍野八海の8つの池(出口池・お釜池・底抜池・銚子池・湧池・濁池・鏡池・菖蒲池) | 巡礼と水行の地 |
| 溶岩の洞穴(2件) | 船津胎内樹型、吉田胎内樹型 | 富士講の聖地 |
| その他(3件) | 人穴富士講遺跡、白糸ノ滝、三保松原 | 富士講の聖地・霊場・展望地 |
湖や滝が「文化遺産」に入っていることに戸惑うなら、分類は「祈った場所」と「描かれた景色」の2つだけと覚えるのが早いです。山中湖も忍野八海も白糸ノ滝も、信仰の巡礼地や富士講の霊場として選ばれています。山梨県のセンターは、火山と共に生き、山麓の湧き水に感謝する伝統が育ったと説明しています。自然そのものの価値で入った資産はありません。
三保松原だけは事情が違います。イコモスの評価書は、三保松原が富士山の南西約45kmにあり、他の24件と違って巡礼路の一部でもないとして、構成資産から除くよう勧告しました。広重が描いた眺めが得られる場所であることは認めつつ、防波設備のために美的に十分でない展望地点もあると指摘しています。
2013年6月の委員会は、この勧告を覆して三保松原を含めた25件で登録しました。「描かれた景色」の側面を切り離すと登録名の後半が成り立たない、という判断だったと読めます。
登録後に求められたこと(決議の6項目と保全状況報告)
登録は無条件ではありませんでした。世界遺産委員会の決議は、25件を「ひとつの存在」「ひとつの文化的景観」として管理できる体制を整えるよう求め、6つの勧告を付けています。文化庁の保全状況報告書から要点を拾うと次のとおりです。
- 来訪の受け入れと、神聖さ・美しさの維持という相反する要請を踏まえた全体構想(ヴィジョン)を定める
- 神社や御師住宅と登山道を結ぶ山麓の巡礼路を特定する
- 登山道の収容力を調べ、来訪者管理戦略を作る
- 登山道と山小屋・トラクター道を合わせた保全の手法を定める
- 構成資産の1つ1つが全体の一部だと伝わる情報提供戦略を作る
- 神聖さと美しさの両面を映す経過観察の指標を強化する
このほか危機管理戦略の策定と、山麓の建築物の規模や配置へのより厳しい規制も求められました。イコモスは2016年2月1日までに保全状況報告書を出すよう勧告しています。
日本側は2014年12月に「世界文化遺産富士山ヴィジョン及び各種戦略」をまとめ、2016年1月に包括的保存管理計画を全面改定して報告書に添えました。
こうした宿題は、文化遺産として登録されたからこそ出たものです。評価されたのが「信仰の山として登られてきたこと」と「描かれてきた眺め」である以上、登山道の使われ方と山麓からの見え方を守り続けることが、そのまま価値を守ることになります。富士山がなぜ文化遺産かを確かめたいなら、この宿題の中身が一番の答えだと思います。
